■キリストのゆえに/使徒16:16~34

『明日は明日が心配する。』

聖書の言葉は時にかなった絶妙なタイミングで語られる。

非常に短い言葉で人に深淵を探らせる。

人間は明日を、来月を、来年を心配せずに生きられない生き物である。

だが、実際は今から一分先さえ知らないのが人なのだから、或る意味滑稽である。

榎本保郎先生が残された言葉、「信仰とは今日の信仰である。」

彼は「人は明日のことを思ったら、生きることができなくなる。」と言われた。

その通りである。

だからこそ、今なすべき決心が出来ない。

パウロも言っている。

「確かに今が恵みのとき、今が救いのとき。」

であるのに・・・人は常に己の過去と、将来の自分を考えてしまう。

どうにも変えられない過去、考えても分からない未来を考えている。

考えるべきは「今」という時間帯である。

パウロがアジアにおける伝道の道が閉ざされたとき、キリストはエーゲ海を渡ってのマケドニヤ行きを示された。

それはパウロに語られた幻だった、と聖書は言う。

幾人かの男達による弟子の一行であったが、彼らはパウロの見た、しかも幻を信じてマケドニヤへ渡った。

それは幻を信じたというよりも、幻を見せられたキリストを信じたからである。

仮に文明的な現在だったらどうしたか、と思わず考え込んでしまう場面。

果たして、それほど安易に、簡単に、同調出来るだろうか。

但し、あのとき主は彼等の行こうとする町へ、そして計画した道筋を、すべて閉ざされたのである。

たった一方向、思いもせず開かれたドアがマケドニヤへの道であり、幻自体も「私達を助けてください。」と叫ぶマケドニヤ人だった。  

だから弟子たちはキリストを信じて海を渡ったのである。

ピリピの町では素晴らしい出来事の幾つかが彼等を待っていた。

その町に教会が立ち上がる種さえ蒔かれた。

だが、想定外の試練が訪れた。

占いの霊に囚われた奴隷女を開放したことで、彼女の主人の怒りを買い、言われなき罪を着せられ罰として鞭打たれ、投獄されたのである。

パウロとシラスはその夜、困惑の時間を慰め合っていただろうか。

そうではない、二人は獄の中で主に祈っていた。

しかも、ピリピの町へ来たことを悔やむ祈りでは無く、主を讃える祈りだった。

そうしたら、彼らの唇から賛美の歌が流れたのである。

歌いたいから歌ったのではない、義務だから歌ったのではない、歌が得意だから歌ったのでもない。

自然と主を賛美する歌が口からついて出た。

暗い獄の中で足枷を嵌められ、悪者扱いされた不法と不条理の中であろうとも、キリストに慈しみを込めて捧げる感謝の祈りを通し、神が彼等に歌を導かれた。

他の囚人たちも彼らの歌に聞き入っていた。

すると、突然大地震が起こって獄舎の土台が揺れ動き、牢の扉が開き、皆の鎖が解けてしまった。

囚人達が逃げてしまったと思った看守は、急いで剣を抜き、自害しようとした。

パウロは大声で「自害してはいけない、私達は皆、此処にいる。」と叫んだ。

看守は灯りを持ち駆け込んできて、パウロとシラスの前にひれ伏して言った。

「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか。」

人間は窮地に陥った際、咄嗟に対策を考えるものだ。

「何をしたら助かる?救われる?」

思いつく限り神経を働かせ試すだろう、可能性を計るだろう。

今、自分に出来ることは何か?

だが、最終的に救われる道は一つしかないことに気がついて、たどり着くのは。

そうだ、神頼み・・・

「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか。」

パウロは即座に答えた、「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも、あなたの家族も救われます!」

その晩、看守も家族も揃ってイエスを信じ受け入れてバプテスマを受けた。

人はいつか人生において最悪の窮地に遭遇するだろう。

命を落とし兼ねないことだってやってくるし、落とすときだって十分に起こり得る。

今日が何も起こらなかった日であろうと、明日は分からないものだ。

明日を知っておられるキリストを信じること以上に確かなことなないのだが・・・

数年先に起こることだってキリストは知っておられる。

「今が救いのとき、今が恵みのとき!」語られるのは人ではない、すべてをご存じの創造主である。

人は寝る際、明日の朝も息をしているかを案じた人は少なくないだろう。

それは100%、明日も生きているという錯覚信仰があるからだ。

だが、決して少なくない人たちが、その夜のうちに息を召し上げられていることをご存じだろうか。

99%OKであっても100%では無いのである。

この世は99,9999%大丈夫でも100%など有り得ないのだ。

夫のために、父のために生命保険は掛けても、自分の人生に保障を求める人は非常に少ない。

人は永遠いのちと、永遠の滅びの二者の何れかを、命ある内に選択出来るのだ。

「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」

ああ、あなたは無料(ただ)で、そのいのちを自分のために確保出来るのに・・・

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