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■アンテオケの夜明け/使徒の働き11:19~26

シリヤのアンテオケ、その地はイエス・キリストが世界宣教への足場を固められた地であった。

イエスが復活され、そして天に挙げられた後しばらくは、救い主イエスという存在はユダヤ人だけのメシヤ観だったこともあり、イエスの死と復活の福音情報はユダヤ人だけにしか語られなかった。

ところが、キリストの弟子迫害により離散して行った人々の中には、生まれて何世代かを外国で生きて来たユダヤ系の人がいた為、アンテオケに到着して以降、彼らはギリシャ人にもイエス・キリストに関する情報が伝えられため、「救い主イエス」を信じ受け入れる異邦人が多数現れ始めた。

聖書は言う、「主の御手が彼等と共にあったので、大勢が信じて神に立ち返った。」

福音伝達、そして救霊拡大に必要なことは、働く人間が必要であること以上に肝心なことは、「主なる神の御手が彼等と共にあった」ことだと思う。

人間が計画して、人間が実行するだけなら、それはこの世の作業でしかない。

福音の拡散・拡大は奉仕する者達が、彼らの上に神の御手が置かれたことを意識するに掛かっている。

主に呼ばれ、遣わされて、用いられてこそ、福音は世界に広がったのである。

現在のキリスト教を見る時、二千年を経て民族、そして部族の言葉にまで訳された神の言葉の存在は、主である神の御手と、主に仕えた人々があったからである。

シリヤのアンテオケという町で、弟子達は「その道の者」という呼ばれ方から、「キリストの輩」(やから)、つまりクリスチャンと呼ばれ始めた。

輩とは、「幾人かの群れ・連中」を総じて卑下、揶揄した呼称である。

クリスチャンという呼称は、アンテオケの一般の人々がつけた呼称であって、キリスト者達が自称したものではない。

「あいつらは俺たちとは生活も行動も違うぞ。あの連中はキリストを神とする輩だ。」

とでも感じたのであろうか。

私がクリスチャンになって5年ほどした頃だった。

当時、信仰生活にもかなり行き詰っていたと思う。

教会そのものにさえ、どことなくウンザリしていたし、御座なり(表面的に繕っているだけ)な生き方だった。

或る意味、教会を見縊り、牧師などは上斜めから見ていたし、イエスだって見限っていた。

礼拝に出て、何を感じる、考えるわけでもなく、文字通り「御座なりクリスチャン」だった。

それでも与えられた奉仕はしたし、身体は毎週礼拝の場にあった。

思えばこんなクリスチャンが祝される筈はなかったし、イエスさまも辟易されていたと自覚していた次第である。 

ところが、そんな私に「ある機会」が訪れた。

それはキリストの「弟子訓練」というものであったが、しばらくはその意味さえ分からなかった。

訓練は10か月間を要する信徒訓練コースであった。

半端なく襲ってくるストレス感と、責められているようなテキストの言い分を感じたものだった。

そして大量の聖書の言葉を覚え込まされる。

聖書の主張を伝える為に書かれた文章で20分から40分にも及ぶプレゼンテーションは完全丸暗記。

だが、しかし・・・である。

何となく楽しいのである。

生まれて初めての取り組みであり、中身は実に聖書的だったからだ。

「始めたらやり通す主義」の私はある意味、完璧にのめり込んだ。

何故そうなったかというと、もし途中で挫折してしまうとしたら、その次からは、いとも簡単に途中で諦めてしまうであろう自分を常にイメージしていたからである。

だから、たとい間違った船旅であっても向う岸へ着くまでは船は降りないと決心した。

まあ、悪い道に入り込まないでつくづく良かったとは思う。

10か月後に無事終了した時、ふと考えた。

自分の様な者さえ、このカリキュラムによって目覚めさせられたのであれば、他の人々にも是を用いて学んで欲しい、と考えた。

紆余曲折しながら数年後、私は神学校のテストを受けていた。

あれ程に嫌だった牧師の道に足を踏み入れようとしていた。

何故、そうなったかの発端は、「あの訓練」を実際に役立てたかったからだ。

是を皆に知って欲しいから。

是を大勢が体験して、アンテオケの町に起こった様なリバイバルを願うから・・・

だが、その頃の私は目標も目的も曖昧であり、創世記の初っぱなに置かれた気分。

つまり、混沌である。

それなのに、くっきりと浮かび上がって来るシルエットは「イエス・キリスト」その方だった。

成りたくもない職業だけには閉口した。

逃げれば逃げる程に主は追いかけて来た。

主の御期待を遮断した筈が、受け入れざるを得なくなった。

「そんなこんなで取り敢えず、神学校だけは行きます」とイエスに対する義理だけで決心した。

何処をどう間違ったのか、見えない方を見つけてしまったからか。

今でもよく分からない。

そう、分からないことも悪くない。

見えない神を、見えない主を、見えないイエスを見た思い。

神学校は三年の筈が5年も通った。

アンテオケで人々はクリスチャンと呼ばれた。

たったの一年で!

彼等が学んだのは旧約が語る律法と約束のメシヤ。

そして今、この世に降り立った方こそ、約束の救い主(メシヤ)こそ、イエス・キリストこの方。

パウロとバルナバは主の御手の下、異邦人であろうとユダヤ人であろうと、救い主を教え伝えた。

その結果、彼らはクリスチャンと呼ばれた。

あれから36年、私は再びシリヤのアンテオケに居る。

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