■イエスはいわれた、わたしは生けるパンである。/ヨハネ6:41~51
日本人は全体的に神様という言葉が嫌いではない。
でも、時と場合によっては「何となく、うっとうしい呼び名」でもある。
個人的には毛嫌いしないが、大勢の前になると隠していたいものだ。
大体が、お祭りや御神輿は大好きでも、別に何の神かに関心はない。
関心がないというよりも、深入りしたくないのか。
つまり「さわらぬ神に祟りなし」。
大和民族は何かにつけて、神々を祭り上げてきた。
太陽、月、海、川、山、泉、沼、岩、木、自然界そのものを神にしてしまう。
そして人間そのものも祭り上げてきた。
生前は迫害しておきながら、死後は神にされた「菅原道真公」の例もある。
軍神、つまり様々な戦いで死んだ御霊を祭ったのが靖国神社。
一つ合点が行かない部分がある。
それは「合祀」は出来るが「分祀」は出来ないらしい。
御霊を祀り込む(合祀)ことはできても、分祀(除く、取り出す)は出来ないそうだ。
但し決めごとを作ったのも合祀したものも、つまり人間である。
人が決め、人が祭儀を執り行うので、「初めにひとありき」なのだ。
人は見えない御霊まで扱えるのか、と思うと何とも理解しがたい。
新約聖書に書いてある聖句にドキッとさせられた。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは・・・」ヨハネ6章にある。
そして言う、「アーメン、アーメン、人の子(イエス)の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」6:53
教会によって行う度合は違うだろうが、殆どは礼典として行われる「主の晩餐式」。
イエスが十字架に掛けられた前日の夕刻、弟子たちと共に晩餐の時を持たれたことに起因する。
その際、イエスはご自分の受難を告げられ、ひとりひとりにパンを裂いて渡され、盃を与えた。
イースト菌の入らないパンは裂かれる主の御身体として、葡萄酒は流れでる罪なき主の血潮としての意味を持つ。
十字架の道へと去って行かれる直前、語られた言葉は弟子たちへの遺言であり、教会への宣言であり命令だった。
再び主イエスが来られるまで、教会とキリスト者は「イエスの身体と血潮」に意味を語り継ぐ。
主イエスは誰の為に、何のために血を流し死なれたかを再認識し、そのわけを未来へ伝えるのである。
私はこれを式(セレモニー)として扱うことを由としない。
それは式であっても式にすべきではない。
イエスを信じ、イエスと生きるのは決してセレモニーではない。
イエスと生きること自体が現実の今であり、生の日々である。
罪だらけでしかない生身の自分だからこそ、聖なる生ける主と過ごした人生という日々である。
キリスト教はこの世で唯一、人間に救いを与える道である。
イエスが道で、イエスが真理で、イエスがいのちである。
何が何でもイエスがすべてである。
それは「世の宗教」とはまったく違う。
宗教ではない、道なのである。
教えとしての道ではない。
イエスご自身が道であるからだ。
だから、イエスを求めイエスと歩む。
『神は死んだ者の神ではない、生きた者の神である。』とイエスはいわれた。
唯一まことの生ける神が、どうして世の宗教に肩を並べ得ようか。
イエスを食べ、イエスを飲むという言葉の意味が分かれば、彼という深み、いや高さを知るだろう。
聖餐式のパンは食べるためにあるのではない。
イエスを食べ、イエスを飲むためにあるのだ。
「わたしを食べる者も、わたしによって生きるのだ。」ヨハネ6:57
「このパンを食べる者は永遠に生きる」ヨハネ6:58
「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。」ヨハネ6:55
私は間もなく信仰歴42年。
当初、自分の中では今更と思いつつも、とにかくイエスを知りたかった頃。
ヨハネの福音書を必死に取り組んだ。
註解書は使わず、へんにかき回さず、聖句の真意だけに取り組んだ。
使徒ヨハネの大胆であり、且あきらめない姿勢が伝わってくる。
「彼が神だ」「イエスが神だ、他にない。」ヨハネの叫び声が聞こえて来そうだった。
そしてヨハネ14:6が書かれた理由が迫った。
29年前、神学校に通い始めた3年間。
私の思いは、いつもイエスに向かっていた。
「イエスさま、今日だけ守ってください。明日はどうでもいいから、今日だけ守ってください。」
これが毎日の決まり文句だった。
電車に飛び乗れば否応なく新学校。
だけど飛び乗るまでの心の中は、毎日が葛藤。
仕事は途中の三時過ぎに切り上げ、着替えて車で駅へと向かう。
兎に角、三年間だけは、と思った。
それで義理を果たせるから・・・それで終わりだから。
義理、義理の信仰はギリギリでもあった。
40代真ん中の貴重な時間を捨てているようにさえ感じた。
でも私には不可欠な三年だった。
イエスさまに返すべく精一杯の恩返しと思ったが、アガペーには太刀打ち出来なかったということ。