top of page

■ アフター・クリスマス / ルカの福音書2:21~38

クリスマスの時期、多くの日本の家々でイルミネーションを飾る昨今となりました。ライティングされた寒い冬の夜は、不思議な思いに浸らされます。でも、どの家もイエスを歓迎する雰囲気はありません。サンタクロースと雪ダルマだけです。ここにも、救い主は歓迎されていないのです。なにか二千年前のイスラエルのようです。

最初のクリスマス・・・騒いでいたのは新しい王によって、権力の座を奪われるかもしれないと危惧するヘロデ王とその周囲だけでした。他はすべて静かでした。必ず来られる方は、密かにお生まれになりました。暗い夜、ベツレヘムの野、その誕生を知らされたのは、なんと羊飼い達、数人でした。マリヤとヨセフの若い夫婦は、その晩、世界で一番不思議なみどりごをわが腕に抱いたのです。

八日目の後、幼子は神の名が置かれる神殿に捧げ物を捧げるために出かけました。そこで、幼子の誕生を待ち焦がれていた、二人の人に出会いました。シメオンとアンナと言い、神に仕える敬虔な者達でした。二人は何百年も前に語られた神の約束を信じて、待っておりました。今がたとえどのような状態にあろうと、神の約束と真実を疑いませんでした。そして、イスラエルを支配するローマ帝国の存在は、イスラエルの神へ罪の故であり、贖われなければならないことを信じていました。シメオン達にとって救い主がお生まれになることが、ユダヤ人の救いとなる、ことだったのです。

救い主、イエスがお生まれになったこととは、神さまが罪ある人間世界に対し、関係修復のために和解のためであったのです。正しい方が、悪い側へ和解の道筋をつけられたのです。この不条理、しかしここに神の愛あるのです。

マリヤに向かって、シメオンは不思議な預言を語りました。 「この子はイスラエルの多くの人が倒れ、また立ち上がるために定められ、また反対を受けるしるしとして定められている。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは、多くの人の思いが現れるためです。」

イエスの十字架と復活の後、弟子達によって世界に福音が届けられてゆく経緯の中で、シメオンの預言は実現して行きました。キリストに対し、人間は自分の心の決心を神に向かって、表明を迫られるのです。それは二者択一であり、中間は存在しません。人間は自分にとって、キリストが意味ある存在なのか、又は無視することがふさわしいのか。人間は自分が神から離れ、自己中心に生きていることを認めるか、否か。神の和解、イエス・キリストを認めるのか、否か。

実に、多くの人の心が明らかにされるため、彼はこられたのです。そして、救われる人達と、永遠に滅び行く二つのグループに分かたれるのです。

最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page