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■ 神は愛なり / 創世記2:15~25 (2009-07-19)

来週は「夫婦セミナー」の開催もあることから、今週は聖書から夫婦観を考えてみた。

先ずは創世記のアダムとエバである。 アダム土から造られ、エバはアダムのあばら骨を基にして造られた。 そして人の存在の土台は「土」であり、神の祝福の下に置かれた。 神は二人が住む世界を祝し、すべてを良きものとして二人に与えた。 しかし、絶対に食べてはならない木「善悪の知識の木の実」を、サタンの誘惑によって食べてしまった。

二人は神との霊的交流と祝福を絶たれた。食は汗して働かねば得ることが出来なった。 子供たちは成長したが、兄息子は弟を殺してしまう。罪の力はアダム家を翻弄し、思うままにかき回した。この世の地獄がエデンの園の隣に位置することが、実に皮肉であった。 神の祝福の直ぐ隣に、最悪の世界が存在する。その隔ての壁は「神が人間の間におられるか否か」でしかない。

アブラハムの時代、神はアブラハムを始祖として、彼との子孫に祝福を約束された。 つまり、契約である。神はその子孫を一つの民族として国と土地を与え、民族への祝福を約束した。 この時代、へブル人たちの存在の土台は「契約」である。一握りの限られた民族との契約ではあったが、神の栄光はこのヘブル人たちを通して現された。

へブル人たちは神の契約の下、増え続けた。奴隷の様に暮らしたエジプトでさえ、民族は膨れ上がっていった。実に、増え広がること自体が、やがて彼らへの迫害の要因とさえなった。だが、神との契約は試練さえも彼らを変革し、育てていった。 夫婦を基準として彼らの家庭は、信仰の意味を問いつつ、神を王とする民族から人間を国王とする国へ成長していった。 このような営みの彼方、長い長い旧約の時間を経て、新しい夜明けが迫っていた。

そして遂に創世記で語られた約束が女に対して実現された。 神が『女の子孫に敵意(サタンに対しての)を置くこと。そして敵意(キリスト)はサタンの頭を踏み砕き、サタン(罪と死)は彼の踵に噛み付く。』 サタンはキリストを痛めつけ、十字架にまで追いやるが、イエスの十字架とよみがえりはサタンの武器である罪と死を徹底的に永遠に無きものとした。

契約を旧とするなら、新しい約束は一つの民族にとらわれず、すべての人類、すべての国民の夫婦に与えられた。つまりイエス・キリストを救い主と信じる男女に対してである。 それは「キリスト」を土台とする夫婦のものである。

神と人の間に十字架があり、夫と妻の間にも十字架があり、二人は教会とつながる。 夫婦間に与えられた祝福は家族、教会、そして神へと広がる。

実に完璧な瞬間がやってきた! で、あろうか? だが、そういう次元を神さまはもたらされたのではない。 創世記が幾度も語る様に「神はみてそれを良しとされた」とは? 夫婦が十字架を信頼しつつ、弱さや欠けを赦され、そして補い合いつつ助け合って生きる。 これもエデンの園ではないだろうか。

クリスチャンであればこその悩みもあるが、そこでなければ出会えない神がおられる。。 そして私達の家庭、人生、その土台は「キリスト」である。 死からよみがえりし主にあって結ばれ、建てられた家庭である。

アパ・ルームに工事中の夫婦の証しがあった。 夫婦喧嘩をした翌朝、夫婦は依然として険悪な雰囲気の中、車を走らせていた。 妻からすれば、どう考えても許せない夫であったが、ふと道路わきに工事中という看板を見たとき、聖霊は彼女の心を動かした。 「神は今も夫を工事しておられるんだわ」と考えたとき、妻は自分さえも「私に対しても神さまが工事している最中なのね」と理解できた。 そう、実に神さまは今も、すべての夫婦を工事しておられる。工事を完了した夫婦など一組もいないのである。

神は見てそれを良しとされた。

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