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■ 聞く耳のある者は聞きなさい / マルコの福音書4:9 (2009-11-15)

今年もアシュラムの時がきた。 アシュラムとは日頃の生活、場所、生きる空間から身を引き、聖書の言葉だけに集中して心(霊)の耳を傾ける集会である。 これは実に地味なプログラムである。 人々との交流も控え、大声で話すことも控え、敢えて心を静めて聖霊の、か細い声に耳を研ぎ澄ませ、受身になって聞かなければ、とてもではないが聞こえはしない。

膝を折り、頭を垂れ、心中より謙遜にならなければ、主のみ声は聞き逃す。 当然であるが、仕事のことや心配事が頭を駆け巡るであろう。 それでも、すべてを支配し給う絶対者に精神を集中させるのは、容易ではないが大きな意味がある。 しかし、「聴く耳」を持てば、必ず聞こえて来るのである。 神はすべてをご存知で、聞く耳を持つ者は聞けるのである。 神は聞こえる様に語ってくださるからだ。 主イエスはいつも言われた。 「聞く耳を持っている者は聞きなさい」と。

今から18年前、京浜アシュラムが伊東温泉にある施設で開催された。 予約を入れ、その時を待っていたが、直前になって逃げられない仕事が飛び込み、やむなくアシュラムをキャンセルした。 地団太踏みたい悔しさを体験した。 当然、費用は全額没収(泣)された。これも悔しかった。 そこで腹を決めた。「次のアシュラムがどこで開催されようと、絶対に行く。」 こうなったら意地の世界だった。

次回のアシュラムの開催の知らせを見たら、何と沖縄であった。 だが、沖縄だろうが、北海道だろうが必ず行く、と思っていたので予約を入れた。

二月、非常に寒い日は氷雨が降っていた。 重く垂れ込める雲は見上げて見ても、どこまでも暗かった。 飛行機が滑走路を滑り出し、氷雨を受けながらスピードを上げ、やがて離陸する。 見下ろす飛行場はあくまで暗く寒い景色の中に沈んでいた。 まるで、人間世界を象徴しているかの様だった。 機は更に上昇する。雲を突き破って高度を上げて行った。 そして厚い雲の天井を突き抜けたとき、そこは真っ青な空、強く輝く太陽の光りが眩しい世界だった。

創造主は人間の沈んだ人生すべてを、数分間のフライトに凝縮して見せてくださった、と思った。 どれほどの厳しく重い、問題だらけの人生であっても、天上はいつも変わらず神の栄光と力の支配のもとにあった。 地上でどれほど辛い時間に閉じ込められていようと、神の世界は悠然と平安の光りに満ちている。 私達はそれを知らないだけである。 この朝の10分ほどで、私は既にアシュラムから沢山の祝福をいただいた思いがした。

当然であるが、沖縄アシュラムでは恵みが豊かにあった。 初めて会う兄弟姉妹たちが、私の重荷のために祈ってくれた。 ずっと私の心に絡みついたツタの様な縄目は緩やかになった思いがした。 それから3ヶ月後、神は私を助け導き、神に従うことが、どれほどの祝福を招くかを教えてくれたのである。 素晴らしいアシュラムと沖縄の三日間であった。

あなたも是非一度は参加されたら良いと思う。 その旅の初めから終わりまで、主はあなたに問いかけられるから。

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