■ 人生を選択するのはあなたです / 第二ペテロ 3:1~7 (2010-08-29)
ペテロ第二の手紙を第一に引続いて読み、考えて行くうちに、これはペテロの手紙ではない、と確信した。 だからといって、別にどうなったということではない(笑)が、改めて別人の書いた手紙であると思う。 人間は別人が書いたように見せかけて創作も出来るであろうが、第一の手紙を一年近く開メッセージするために取り組んで、行間までも味わいつつ来た者にとっては、明確にそう断言せざるを得ない。 使用する言葉、文体、表現、流れを変化させることは出来るであろうが、自身の心までは変えられないと思うからだ。 別人ならばいとも簡単であろう。 もしかしたら、第二の手紙がペテロであって、第一の手紙は別人かも、とさえ感じる。 ギリシャ語をラテン語に、更に英語や日本語に翻訳したにせよ、これほど同一の人物と思えない手紙も珍しい。 四世紀頃、新約聖書の編纂が完了し、すべてが完成されるに至った時点で、大もめしたことがあきらかであったことが改めて伺われる。
しかし、この手紙は新約聖書に組み込まれた小さな書簡であり、それ以上に聖書の一部であることに間違いはない。
3章になって(つまり手紙の後半近辺である)、この手紙を何故書いたかが語られることも面白い。 書いたこの手紙の意味を、宛先人の人々に向かって厳しく迫っている。 それは「あなた方に、以前体験した記憶を呼び覚まし手欲しい、預言者とメシヤの語られた命令をもう一度、しっかりと思い出して欲しい」と言っている。 なぜならば、「約束の言葉など成就されないと言う者が大勢現われ、信徒の目先を曇らせる輩が色々とふれ回り、神への信仰を折り曲げ、湾曲しようするからだ。」とある。
いつの時代でも同様であった。 信じる者を惑わすのは、世であり、同信の友と思えた人々であった。 私達は絶えず、外部の人々、そしてキリスト者と自称する人々、更に自分の心に対し、戦っている。 危険と失望、躓きと不信、不安と誘惑、背教と困惑、限りなく襲って来るものと戦っている。 しかし、私達の勝利は決して揺るがされない。 キリストが勝ち取ってくださった唯一のものではあるが、永遠に不変である。 十字架と主のよみがえりの事実は、サタンであろうと覆すことなど出来ない。 敵がサタンと悪魔、偽善と偶像礼拝であればあるこそ、十字架は輝きを増す。
私達はいつも選択する側にあった。だが、この道だけはいつも一本である。 神を信じる。救い主を受け入れる。キリストに従う。イエスと生きる。ここにはぶれようがない真理と事実があるからだ。 確かに道は狭い。しかし、キリストの懐は実に広い。 確かに生きる人生は人それぞれだ。 そして多くの場合、私達は自分の人生を選択してきた。 進学、就職、結婚、家庭生活、何と多くの間違いをし、そして間違いを認めざるを得なかった。 選択の可も不可もあったが、それでも重要な岐路は私自身で選んだ、という自負がある。
そして人生で最も素晴らしい選択をしたことが一つあった。 それは、私の救い主は「キリスト・イエス以外にない。」ということであった。 32年を過ぎたが、この確信は益々動かしようが無い。 だから、これからも人生を賭けて、ここを突き進む。 それを選択し生きるのは、私であり、そして助けてくださる主の圧倒的な力による。