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■ その日は来る! / 第二ペテロ3:8~15 (2010-10-03)

私は9月3日から12日まで、アメリカ東部は海岸沿いの町々で恵みのときを主からいただいた。 そこにはアメリカ兵士と結婚した日本人女性が多数住んでおられる。 クリスチャンになる人は決して少なく無い。 そして彼女達は少数派ではあるが、助け合い、支えあって信仰の灯火を保っている。 主の慈しみがこの日本とは違ったかたちで、神の子供達を見守っておられた。

世界のいたるところに、日本人クリスチャンがいる。 その人々は、日本で暮らし続けているとしたら、おそらくキリストに出会わなかったかも知れない。 海外で暮らし始めると、日本人はクリスチャンになる可能性が非常に高い。 何故だろう?様々考えられるが、一つには自由な生き方、自立したクリスチャンに出会ったこと、そして自由な環境を得られたからかも知れない。 そして、この国に重く垂れ込める偶像礼拝の雲からの開放か、と思う。 成田空港から一歩出ると何か重苦しいものを感じるのは私だけだろうか?

ペテロ第二の手紙にこういう言葉がある。 「主の日が来る」、それは「神の日」であり、「この世の終わりの日」でもある。 私達キリスト信徒は、その日が早く来るように生きよ、と聖書は語る。 神はこの世界の救いを待っておられる。それは一人でも多くの人間に救われて欲しいと願うからである。 そのために「その日」を遅らせておられる。 しかし一方では、その日を早める様に生きなさい、とある。つまり信仰生活を立て直し、神の前に生きよ、である。

この世界に神の国が到来した時、残り得るものは何だろう? 無い、それだけは言える。 何一つ無い、のである。 太陽は闇となり、月は血に変わる、と聖書は語る。 「そういう日」が来るのである。 「その日、果たして信仰が見えるだろうか?」と言われたキリストの言葉は刃の剣の如く、私達人間の弱さ、曖昧さを見透かしておられる。

今、住んでいる家も、築き上げた財産も、家族も仕事も、そして教会堂さえも崩れ、焼け落ち、失うのである。 つまり、今、私達が価値有るものとするところは、すべて塵となる。 私達は、「そう宣言される神」を信じ、信頼して生きているのである。 『しかし、主の御名を呼ぶ者は、みな救われる』(死と:21)アーメン!

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