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■ 目に見えない神よりも、目に見える王が欲しい / 第一サムエル記12:1~16 (2010-11-21)

目に見えない神よりも、目に見える王が欲しい。
これがイスラエル民族の偽らざる気持ちであったろう。

 

 約束の地に住みなれた頃、イスラエルが感じたことは、周囲の民族、国には王がいたことだった。
そしてイスラエルの歴史で初めて王が意識された。
モーセ、そしてヨシュアという時代のヒーローはその役目を果たし、消えて行った。
 流浪の民は初めて国土を得たとき、そこには見えない神よりも国王へと目が向いた。
 

そこにイスラエルが失って行ったものが幾つかあった。
 一つは神の言葉と幻(ビジョン)である。
 思い起こせば、あのアブラハム以来、いつも彼らの先には見えない神がおられ、言葉をもって導かれたのである。
だが、見栄えはしても王は人間である。全能ではない。
 見えるところは満たせても、見えない心は満たせないのだ。
 神の民に幻が無くなったらどうなるか?
 未来の灯りを見失ったらどうなるか?
 箴言29:18
『預言がなければ民はわがままにふるまう、しかし律法を守る者はさいわいである。』

 

 更に、イスラエルは神に期待してゆく信仰のスピリット(霊性)を失った。
 信仰のスピリットは限りない勇気であり、力である。
 今が辛くとも、耐えて生きることが出来る力の源である。
 病に苦しみ、仮に死すとも、神を信じる者は永遠の都を見通している。
 箴言18:14
『人の霊は病にも耐える力があるが、「沈みこんだ霊」を誰が支えることができよう。』
そのとおりである。
まさにツタがからまり、動けなくなった霊性は既に自由ではない。
ヘブライ語聖書は「沈みこんだ霊」と訳された原語に、そういう意味の言葉で使っている。
 

サムエルはやがて訪れる大きな試練に対し、改めてイスラエルを励ました。
 今日まで神が彼らを育み、世話し、導き、乳と蜜の流れる地の民となるまで、彼らを守り続けた。
だが、彼らの求める地上の王はどのような時代をもたらすのか。
いかなる困難が迫ろうと、イスラエルが見失ってはならない神がおられる。
 民の求めに応じて人間の王を与え給うた神を、彼らの魂に焼き付けようとサムエルは語る。
 『今一度立って、主があなたがたの目の前で行なわれるこの大きなみわざを見なさい。』

 

この言葉こそ私達も同様に、我が魂に刻むべき言葉である。
 今日まで守られ、助けられ、そして今又新しい時代と見えない明日に歩き始める。
だが、ここからも神は我が助けの岩である。
 決して神を忘れてはならない。
 不思議なる神は未来永遠に、信じる者を見放し給わない。
 大きなチャレンジに向かい合ったとき、覚えよう。
 神は明日も神であることを。
 『今一度立って、主があなたがたの目の前で行なわれるこの大きなみわざを見なさい。』
 


 

 

 

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