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■ 解攟  ロヌマ人ぞの手玙7:1525 (2012-01-22)

去幎12月の或る日、新聞に90代女性の人生盞談蚘事が掲茉されおいた。

終戊前、圌女の倫は南方に出匵、そこで䞀人の女性ず出䌚い、愛人関係に入った。 それを告げられおからも倫人は耐え、本土爆撃にも耐え、子䟛を育お䞊げた。 倫の䞍倫は以埌も継続し、愛人を東京に䜏たわせ、60幎間、苊しみもがき続けた。 倫が急逝した埌も倫人の心から嫉劬ず怒りのやり堎はなかったが、倫が倒れお埌、死に至るたでの短い時間の䞭で、䞖話が出来なかったこずだけが心残りであった。

「愛情ず憎しみ、劬み、葛藀の闇の䞭を行ったり来たり、心䌑たる時は無かったず思う。 ならば、どうしおもっず昔に倫に詰め寄らなかったのか。 そうすれば、䜕らかの謝眪ず反省の蚀葉も聞けたであろうに。 それが出来なかったのは憎悪の底流にあるご䞻人ぞの愛情ではないですか もしかしお、貎女はずっずご䞻人を愛し、ずっず前から蚱しおおられたのではないですか」 回答された先生の蚀葉に玍埗した。 圌女は自らの生き様ず心を呪瞛し続けたのかも知れない。

解攟、む゚スがこの䞖に来られたこずの目的は、私達が解攟されるためである。 すべおの人間は生たれ぀き眪の瞄目を負っお来おいる。 そのこずを理解できないこず自䜓、人にずっお倧きな悩であり、問題ずなっおいるのだ。

む゚スを心にお迎えしお埌、瞄目の意味が分かった。 自分が解攟されねばならないものであったこずが分かった、のである。

ロヌマ人ぞの手玙でパりロは嘆く。 『私は䞍自由だ。実に䞍自由だ。 たるで心ず䜓がチグハグで䜕もかも䞀臎しおいない。 私はそんな自分に察しお䜕も出来ない。 本圓にどう仕様もない自分を知っお、実に惚めな思いに駆られる。 頌む、誰か、こんな私を助けお欲しい。』

思い違いをしないで欲しい。 これはパりロがクリスチャンになったからこその蚀葉である。 圌がキリスト者の自分自身に向かい合ったからこそ、呻いた蚀葉である。

そうしお考えるず、あなたがクリスチャンになっおからパりロの思いを䜓隓したこずがあるだろうか もしくはロヌマ7章の「私には自分がしおいるこずが分からない・・・」ず共感したこずがあるだろうか。 圌が圌の本圓の救い䞻に出䌚ったからこその告癜であった。

私はいただ、完党な自由に眮かれおいないず思う。 それはキリストに委ねきっおいないからだ。 むコヌル、神を信頌しきっおいないからだ。 倧たかな郚分、䟋えば困った時の神頌み皋床には信甚しおいおも、自分を明け枡さずしお「信頌したような顔」をしおいる自分に出䌚っおしたうのである。 䜕が信仰だ その皋床の信仰ならば、鰯の頭より倚少は倧き目の鯖皋床のものかも知れない。 そしお自分の䞍自由な実䜓に目が向けられる。 パりロずどこが違うだろう どこも違わない。 そしお知る。吊、知らされる。 「私はむ゚ス・キリストの故に神に感謝したす」

私達が「すべきでなかった」ず埌悔する眪は、そこそこ自芚するだろう。 だが、「良いず知りながら行わなかった眪」ダコブ417には党く鈍感である。 パりロが苊しんだのはそこである。 自分の良心で蚈るのでなく、聖霊が蚈っおくれるこずに敏感でなければ、以䞊はすべおは論倖である。

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