■ 物事の初めに神ありき / 創世記39:1~23 (2012-09-16)

新島譲、明治維新の時代において、彼の生き様は日本のキリスト教史に大きな足跡を残している。 それは彼が聖書から「主の前に生きるべき生き様」を導かれたからである。 自分で考えて生きる、のではなく、主の御眼の前に生きた。 また札幌農学校に短期間であったが滞在し、キリスト者スピリットを長く漂わせたW・S・ クラーク先生が日本に来るきっかけとなったのは、アメリカへ密航した新島がクラーク先生が教える化学の生徒だったからである。 クラーク先生は農学校での任務を終え、既に帰国されて数年経っていたが当時の学生に強いインパクトを与え続けたクラーク先生の生き様と教えだった。 内村鑑三がキリスト者精神に出会ったのは、そんな時間帯の中だった。 クラーク先生の聖書を基にした方針は、当時北海道開拓使長官であった黒田清隆の猛反対に会ったが、クラーク先生は「日本の未来に有用な人材育成のために、聖書は欠かせない。」という固い決心を押し通した。

いつの時代でも数少ない人たちの生き様が、多大な影響を社会に後世に残して来た。 「キリストがこの世に遺した絆」とでも言おうか。 少数のキリスト者の生き様そのものが伝道の媒体に為って来たのである。 少数派は決して称えられる対象にはなりにくいし、少数派になりたいクリスチャンは少ない。 しかし、キリストと生きようとするなら、少数派に捉われぬ生き方が求められる。

聖書に登場する人間、つまりイエス以外の人間達のことである。 ヤコブの11番目の息子、ヨセフは凡そ「神が最も正しく相応しい人」として選ばれた適材の人物であった。 ヨセフは苦汁と忍耐から絞り出た涙の日々を強いられた。 だが、どんな局面に立たされても主と生きる人生を選択した。 そしてエジプトの宰相にまで上り詰めたヨセフはイスラエル民族の定住と安定に役立った。 それから400年後、イスラエルが神の与え給うた「約束の地」への帰還事業を担わされた人はモーセであった。 もし、ヨセフと言う人材がいなかったとしたら、創世記と出エジプトのストーリーは変わっていたかも知れない。

ヨセフは確かに父ヤコブの年寄り子であったが、それ以上にヤコブの愛する妻ラケルから生まれた子だったからだ。 だが、父の愛が強ければ強い程、他の兄弟たちの嫉妬を買い、ヨセフのすること為すことが兄弟達の怒りの対象になった。 兄弟たちの憎しみは頂点に達し、ヨセフを奴隷としてエジプト人に売ってしまった。 エジプトの高官に仕える侍従長に買い取られたが、ヨセフの生き様は厚い信頼を得た。 聖書は幾度も言葉を重ねている。 『主がヨセフと共におられたので・・・・』と。

平安も束の間、ヨセフに忍び寄ったのは侍従長の妻の欲情であった。 彼女の誘いをきっぱり断って事なきを得たにも関わらず、彼女の策略はヨセフを監獄へと追いやった。 並の人間であるなら、とっくの昔に神を捨てていたであろう人生だった。 理由も無く兄弟に憎まれ、今は罪の濡れ衣を着せられた。 しかしヨセフは決して神に対しても人にも対しても罪を犯さなかった。 聖書は言う。『主がヨセフと共におられたので・・・・』 やがてヨセフは監獄の長に信用され、すべての囚人をヨセフの手に委ねた。

実に厳しい試練の連続であった。 明けても暮れても、これでもかと思うほど、僅かな希望の光りが消えて行くような人生であった。 しかし、その様にして主は宰相に相応しい人材として、ヨセフを練り上げたのだった。 詩篇105:17節~19節 主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。 彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。 彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。

人間は試練がもたらされた意味が分からない。 主を信じていても、である。 否、主を信じるからこそ分からないのかも知れない。 結果的に主の目に適う生き様が出来ないで、どうしても自分中心に生き方を選んでしまう。 しかし、無実の監獄暮らしの中にも主の御眼はあった。 冤罪が、まかり通る時間帯でも神の御眼はそこにある。 果たしてそれを信じて生きるキリスト者は・・・・

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