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chofuminami
- 2005年6月19日
■ 父の日・悩みの日々にも神の前を生きる / 創世記3:22~4:16、4:25~26 (2005-06-19)
今日は「父の日」。と、言っても母の日があるのに、父の日がないのは不公平であるからか、または、デパートなどにとって絶好のチャンスだからか、どことなく実感が来ない。父とはどうも死んでから存在感がわいてくるような立場に置かれてなんとも哀れである。...
ルツ記1:1~22
- 2005年1月16日
■ 苦しみの意味がわからない時 / ルツ記1:1~22 (2005-01-16)
キリストを信じる者たちにとって、最も苦しいことは「神のされることがわからない時」だと思います。あなたにそのような経験はありませんか?大なり小なり、そのような経験がおありだと思いますが・・・いかがでしょう? 今週は「フォーカス・オン・ザ・ファミリー」の代表である、ジェイムス...
創世記12:4~13:4
- 2005年1月9日
■ 2005年の礼拝ごころ / 創世記12:4~13:4 (2005-01-09)
「日曜だから教会へ行く。」「小さい時から行ってっているから。」「習慣だから・・・」 あなたは何故、日曜に教会へ行くのですか?と聞かれて、上のような答えをしたら、おかしいですよね。そこには礼拝への思いも、意味も語られていませんし、創造主への感謝もありません。自分があって、日...
旧約聖書/ヨナ書
- 2004年10月17日
■ 「信仰の生命線」 / ヨナ書3:10~4:11
ヨナ書ほど私たち人間の弱さ、自分中心主義を鋭く突いている書物はないかも知れません。仮にも彼は神に仕え礼拝していた人物でした。イスラエルという国民の中から神に仕えるべく、特別に選ばれた者でした。しかし、ニネベ宣教を通して浮かび上がってきたものは、ヨナだけでなく、私たちがいかに...
旧約聖書/ヨナ書
- 2004年10月3日
■ 「とりあえず・・・」 / ヨナ書3:1~10
聖書はつくづく不思議な書物と思います。ヨナは神さまに従わなかったため、挙句の果てに海に投げ込まれる結果となったとあります(と、ここまでは理解しましょう)。次にヨナは大きな魚に呑みこまれ、魚の腹の中で神に助けを叫び求めたのです。鯨のような魚とは思いますが、大真面目で書いていま...