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新約聖書 / ヨハネ福音書
- 2017年4月16日
■主はよみがえられた/ヨハネ20:1~16
キリスト教の中で、奇跡の中の奇跡といえば、完全に死んだ筈のイエスが三日目によみがえられたことである。 では、そのことを信じたからクリスチャンとなったのか、と言えばあながちそうではない。 おそらく、多くのクリスチャンが同じことを言うと思う。...
新約聖書 / ヨハネ福音書
- 2017年3月26日
■私は葡萄の枝/ヨハネ15:1~10
「わたしはブドウの木、あなた方はその枝である。」ヨハネ15章 といわれるイエスに向かって「こんな枝で宜しいのですか?」という思いと、「駄目なら切ってください。」という思いが執拗に浮かんでくる。 どうもへそ曲がりで、ひねくれた枝だと、自分でも思う。...
新約聖書 /ヨハネ福音書
- 2017年1月8日
■信仰は息をする/ヨハネ8:19~27
人がキリストから与えられた信仰は生きている。 生ける神からの贈り物、賜物であるから、信仰は生きている。 しかし、時と共に信仰は死んで行くことが少なくない。 それは人間が再び世の常識と道理の中に埋もれて行く過程に従って、生きて弾んでいた信仰も萎んで行くからだ。...
新約聖書/ヨハネ福音書
- 2016年12月4日
■平和の主は唯ひとり/ヨハネ8:1~18
人が誰かを裁くとき、裁きの基準は自分の価値観である。 たとえ彼がすべてを理性に委ねたにせよ、基準は自分である。 仲間の意見を参考にしたとしても、基準は自分である。 だとしたら、私達が誰かを裁くとき、同じ思いで自分を裁けるだろうか。 無理である。...
ヨハネ6:58~69
- 2016年8月6日
■ 弟子道 其の弐 / ヨハネ6:58~69
中世ヨーロッパには騎士道があった。 その精神的支柱は聖書であった。 鎌倉時代から江戸時代に掛けては武士道があった。 こちらの精神的支柱は儒教であった。 ならば新約聖書における弟子道はどうだろう? こちらは騎士でもなければ武士でもない。 ...