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マルコの福音書
- 2005年9月11日
■ I killed (私が殺した) /マルコの福音書9:30~32
イエスは弟子たちを教えて、『人の子は人々の手に渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて三日の後に、人の子はよみがえる。』と話された。しかし弟子達は、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていたと、マルコの福音書、9章31節は語る。...
マルコの福音書9:14~29
- 2005年9月4日
■ 微かな希望は不信仰 / マルコの福音書9:14~29
イエスの前に一人の少年が連れて来られた。群集が取り囲んでいた。少年の父もいた。 少年は幼いころから、悪霊に取りつかれていて、時には彼自身の命さえ危ぶまれるほどの状態を呈した。悪霊は彼をひきつけさせ、彼を地面に打ち倒し、泡を吹かせた。...
chofuminami
- 2005年8月28日
■ 彼の言葉を聞きなさい / マルコの福音書9:1~13 (2005-08-28)
イエスはある日、弟子のうち三人だけを伴って高い山に登られた。その時、弟子達の目の前でイエスの姿が変わった。白く輝くみ姿になられた、と聖書は語る。この世のどんな薬をもってしても現せない「白色」であったと語る。「白さ」は何を語るのだろう。それは、罪なき色である。また、神の輝く栄...
chofuminami
- 2005年8月21日
■ こんな器・・・になりきれない私 / マルコの福音書8:34~38 (2005-08-21)
イエスはある日、弟子達と共にたくさんの人々、つまり群集を前にして語られた。それは「キリストの弟子」としての招きの言葉であった。『誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』(マルコ8:34)。...
chofuminami
- 2005年8月14日
■ 主の日が来る / マタイの福音書16:13~23 (2005-08-14)
聖書全体が絶えず未来に向かって宣言して来たことは、「主の日がくる」というメッセージである。 「主の日」は二通りの世界の到来を意味する。一つは神の支配が始まることであるが、これはクリスチャンにとってこの上なく、嬉しい日である。もう一つは目を疑うような未曾有の恐怖がやってくる...