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■ 主はここにおられる / マルコの福音書7:9~23 (2005-07-03)
昔、旧約の預言者エゼキエルはバビロン帝国がユダヤを踏襲し、人々を捕虜として帝国へ連れ去った時代に起こされた人である。神はエゼキエルに不思議な幻、黙示を見させられた。それは、今は荒涼として朽ち果てたように見えるエルサレム神の都と神殿も、やがて「その時」が来れば以前にも増して、...
chofuminami
2005年7月3日
■ 信仰・唇と心の温度差 / マルコの福音書7:1~8 (2005-06-26)
人間、実に厄介な生き物である。人間である自分がそう思うのだから、創造主は特に強く思われるに違いない。神の忍耐に、ひれ伏すしかない。そんな人間のために愛する我が子を十字架に追い立てたのだから。 「神は絶えずアーメンなるかたである」と、聖書が言うとおり、神は決して御自身を否定...
chofuminami
2005年6月26日
■ 父の日・悩みの日々にも神の前を生きる / 創世記3:22~4:16、4:25~26 (2005-06-19)
今日は「父の日」。と、言っても母の日があるのに、父の日がないのは不公平であるからか、または、デパートなどにとって絶好のチャンスだからか、どことなく実感が来ない。父とはどうも死んでから存在感がわいてくるような立場に置かれてなんとも哀れである。...
chofuminami
2005年6月19日
■ 神を畏れよ / マルコの福音書6:45~56 (2005-06-12)
我々は神を畏れる。畏れるとは、かしこまって敬うという意味の「おそれ」である。それは「恐れ」ではない。しかし、これだけでいいのだろうか、と思う。現在の私たちは神への「恐れ」という概念が希薄過ぎると思った。旧約聖書の時代、人々は本当に神を恐れた。へブル人たちは「神」という名さえ...
マルコの福音書6:45~56
2005年6月12日
■ 「今」を問われる神 / マルコの福音書6:30~44 (2005-06-05)
私達の神は今を問われる。明日の信仰、来年の私達の信仰を神は問題にされない。「今」である。今、何をどう信じているのか、である。だが、私達は今よりも先延ばしを希望する。要するに今、決めたくない。今、結論を出したくない、のである。特に重要な課題はじっくりと考えてから・・・と思う。...
マルコの福音書マルコの福音書6:30~44
2005年6月5日




