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第二歴代誌17:1~12
- 2015年1月25日
■ ヨシャパテの道 / 第二歴代誌17:1~12
イスラエルの王の中で、私が非常に気に入っている人がいる。 ヨシャパテという王であるが、彼の人間性と主の前における生き様が堪らなくいい。 そもそも、男が金と力、地位と権力をすべて手中にした場合、大方が碌な生き方をしない。 あのダビデがそうだった。 ...
第Ⅱ歴代誌12:1~14
- 2015年1月11日
■ 苦しむは恵み / 第Ⅱ歴代誌12:1~14
仮に私が非常な困難の中に置かれたとして、どの段階まで「主は正しい」と言い続けられるだろう。 実際、自分にそういう時が来なければ分からない問題であるが、私にとってはまことに自信の無いテーマである。 耐え切れなくなったら神を呪うだろうか。 ...
第二歴代誌13:1~18
- 2015年1月4日
■自分か神か / 第二歴代誌13:1~18
信仰生活の取り組みで大切なことは「普段」ということと、「不断」ということである。 文字は違うけれど、意味合いは似ている。 絶え間なく、いつもどおり、と言う様な意味である。 キリストを想う?思う?人の気持ちは日々異なるものだ。 それは私が人間であるからだ。 ...
chofuminami
- 2005年8月7日
■ 私の信仰・他者の良心 / コリント第一の手紙10:14~33 (2005-08-07)
クリスチャンになると、自由が束縛される、と言うイメージがどうしてもつきまとう。 「あれは駄目、これも駄目」というふうに思われているし、排他的にも見られている。 だが、聖書はそんなことは言ってもいないし、クリスチャンとて然り、決して束縛もされていない。勿論、ある教派の場合...