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chofuminami
- 2004年5月16日
■「私はキリストのもの」 / ヨハネの福音書17:1~11
今日の箇所で、主イエスは幾度も仰っておられます。「彼ら(それは弟子達であり、今は私たちイエスを受け入れたものが該当してきます)は天の父よ、あなたのものです。そしてあなたのものはわたしのものです」。 嬉しいですね。今日も神の赦しと寛容なくしては、とても赦される筈もない私をこ...
旧約聖書/詩編
- 2004年5月9日
■「神よ、なぜですか」 / 詩篇89:46~52
人はその人生で、誰もが悩み、苦しみがあります。神の民(クリスチャン)であるならば、苦しみが与えられた意味を知りたい、と思うのです。新約聖書の「へブル人への手紙」では、神はその愛する子(信仰者)に対し、ムチをもって懲らしめるが、それは憎しみの故ではなく、「子として扱っておられ...
新約聖書 / ヨハネ福音書
- 2004年4月18日
■ 「信仰と不信仰は対峙し続ける」 / ヨハネの福音書20:19~29
私はクリスチャンにならせていただいて26年、牧師として10年になりますが、自分の中を眺めてみると、信仰者なのか、不信仰者なのか、と立ち止まってしまうことがあります。 可哀相なのは、教会のメンバーです。こんな者をよくもまあ10年も信じてくれて、日曜の講壇をまかせてくれました...
ルカの福音書
- 2004年4月11日
■「世界が変わった日」 / ルカの福音書23:50~24:11
イエスが十字架に架けられ、死んで三日目によみがえられたことが世界を変えました。もし、その事実がなかったら、キリスト教が世界に伝播することもなかったし、人々が苦しみの彼方に希望を見て行く信仰もなかったのです。音楽、絵画、彫刻、そして思考に言葉に尽くせない影響を与えた要因は、イ...
新約聖書/ルカの福音書
- 2004年4月4日
■ 「あの日、私も十字架に上にいた」 / ルカの福音書23:24~47
そうです、約2000年前のその日、彼は十字架に掛けられました。旧約聖書が言うとおり、『彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみと病の人のよう。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった・・・』イザヤ書53章...