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使徒の働き2章1~8、36~42
- 2006年6月4日
■ これがペンテコステ / 使徒の働き2章1~8、36~42 (2006-06-04)
ペンテコステ、イスラエルの暦では『五旬節』と言う。農耕暦とでも言おうか。しかし、そこにまつわる意味は多様なものがある。だが、この日、イエスの弟子達や彼を信じる者達、そして後世のキリスト教会にとって忘れることの出来ない事件が起こった。故に教会はその日を覚えるためにペンテコステ...
第一列王記17:7~16
- 2006年5月28日
■ そこで生きよ / 第一列王記17:7~16 (2006-05-28)
ケリテ川の水が枯れたとき、神はエリヤに仰せられた。 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」 エリヤは主が言われるところの「そこ」を目指した。 ...
第一列王記17:1~9
- 2006年5月21日
■ わたしは烏に命じてあなたを養う / 第一列王記17:1~9 (2006-05-21)
預言者エリヤは、時の悪王アハブに向かって神の裁きを告げた。それはここから二、三年の間、イスラエルに雨が降らない、というものであった。神はエリヤを人里から離れたケリテ川のほとりに身を隠し、カラスの運ぶ肉とパンで養われた。王の手が及ばない場所であった。川の水を飲みながら、エリヤ...
ルツ記1:1~2:3
- 2006年5月14日
お母さん、涙の向こうに神の祝福が見えますか / ルツ記1:1~2:3 (2006-05-14)
そこに人が存在するとき、必ず母がいる。 人は誰でも、母の体質、遺伝子、性質を幾らかであろうと、必ず受け継いでいる。 母は偉大である。母は強く、優しく、逞しい。子供を守るその本能に父親は勝てない。子供を思いやる心に父親は勝てない。自らのお腹に身籠った命を育て生み出した力と...
ヨハネの福音書6章35~40
- 2006年5月7日
■ わたしはいのちのパンである / ヨハネの福音書6章35~40 (2006-05-07)
イエスは言われた。「わたしは命のパンである。」(ヨハネの福音書6章35節) 命のパンが与えたもの、それは一人の人間の全人的な範囲に及ぶ変革である。 およそクリスチャンであるならば、信じる以前とは大きな隔たりがある筈だ。もし、以前と大差ないと言われるとしたら、それはキリス...