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■ 限界 / マタイ26章27~43 (2007-03-25)
総じて人はイエスに躓く、と思う。「躓くほどにイエスに信頼しているか?」とも聞きたい。 私など、仮にそう聞かれたら、思わずシドロモドロになりそうだ。イエスを信じない人は、既に躓いているのだろうか。そうとも言える。躓くくらい、強くイエスに賭けてみたい。 ...
マタイ26章27~43
2007年3月25日
■ 信仰は失うもの / ルカの福音書22:20~34 (2007-03-18)
生きるもの必ず死がある。その別れは辛く、悲しい。 聖書は死が忌むべきものとあるが、私の中では死は尊いとさえ思う。それは喜びなどでは決してないが、尊い人生、生きる尊さを瞬時に失わせる死の力は、凄まじい。命を閉じさせてしまう死は、生きとし生ける者にとって、不可解であり、絶対で...
ルカの福音書22:20~34
2007年3月18日
■ こんな私・・にもかかわらず / ローマ人への手紙5:6~11 (2007-03-11)
日本語の「愛」と言う表現は、非常に貧しく淡白な範囲しか伝えられない。男女間の愛、親子、友人、師弟間などにも用いるが、日常的に会話の中では、先ず用いていない。それは、この国の風土、風習、生き方が、人間愛に対し、狭くて浅い部分しか捉えようとせず、感情、情緒と言った優しさや表現を...
ローマ人への手紙5:6~11
2007年3月11日
■ こんな世界があったんか! / ローマ人への手紙4:25~5:5 (2007-03-04)
デイリー・ブレッドと言う黙想用の小冊子がある。毎日のメディテーションに助けとなる聖書のみことばも書いてある。聖書を読む前に、これらの案内書の言葉は、メインディッシュの前の出される前菜的な役目を果たしてくれる。座りました、はい、いきなりのステーキでなく、サラダやスープをいただ...
ローマ人への手紙4:25~5:5
2007年3月4日
■ 不安と不信の谷を渡り / ローマ人への手紙4:13~24 (2007-02-25)
クリスチャンの中には、本当に主にまかせきっている人がいる。偉いなあ・・と感心してしまう私である。「いつになったら、あんなふうになれるんかなあ」とも思うが、別になれなくてもいいか、と冷め切っている部分もある。 信仰生活にあっていつも思うことがある。それは、心の中に絶えず存在し...
ローマ人への手紙4:13~24
2007年2月25日




