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新約聖書/マタイの福音書
- 2019年8月11日
契約の血/マタイ26:20~39
「荒野の泉」という本から抜粋。 ある黒人男性が当時毎晩行われた天幕伝道集会に参加したところ、主は彼の内に働かれ、 集会に行く度毎に、「今からの人生と私自身を主にお捧げします。」との決意をした。 しかし、集会から帰る頃になると、決まって悪魔がやってきて囁いたそうだ。...
旧約聖書/創世記
- 2019年8月4日
■原罪/創世記2:23~3:13
『見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く』 クリスチャンになって何十年も経って悟るのかもしれない。 上っ面で理解しようとも、深いところに落とすには、やはり年齢を重ねるのが意味があるかと思う。 失敗したり、他人を見て学んだり、葛藤の足跡を振り返って悟ったり、人...
新約聖書/コリント人への手紙
- 2019年7月28日
■十字架のことばは神の力/Ⅰコリント1章17~21節
山の峰、若しくは水の水源地点となるべき場所に「分水嶺」(ぶんすいれい)という石碑が立てられている。 同じ場所、同じ時刻に降った雨にせよ、場所によって左右二つに分かれ、沢となり、川の源流支流となる。 大きく分ければ一方は日本海、別の雨水は太平洋へと流れくだる。...
新約聖書/ヨハネ福音書
- 2019年7月21日
■このことを信じるか?/ヨハネ11:20~27
搗(か)ちあう、という言葉。 物と物が突き当たるとか、肩と肩がぶつかるといったふうに使用される。 または重なる、という意味もある。 場合によっては、搗ちわない、かみ合わない会話という場合の表現もある。 イエスはベタニヤ村にあるラザロ、マルタ、マリヤの三兄妹の家にちょくちょく...
新約聖書第一コリント
- 2019年7月14日
■伴侶の十字架/Ⅰコリント7:10~16
33歳でクリスチャンになったとき、キリスト教の何が解っていたかというと、完璧に何ひとつ知る由もなかった。 その朝までは・・・。 だが、あの朝、イエスは私の心に立って下さって、言葉を掛け、話しかけられたのだ。 1978年3月12日の朝までは、聖書の何かに対して、関心も興味も好...