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■エデンの東、ノデの地/創世記4:16~26
この地上がかつて「エデンの園」として置かれたときは、100%主の御意志とことばで創造され、自然界すべては平安と祝福に満たされて、人も獣もすべての生き物は安らいでいた。 たった一度の出来事によって、すべては別世界となった。 アダムとエバが主の御意志を無視した時である。...
旧約聖書/創世記
2019年10月27日
■「此処もエデン東」/創世記4:1~16
ジェームス・ディーン、主演映画の「エデンの東」。 取り立てて見たいと思わなかったが、心の隅っこにずっと有り続けたタイトルと俳優。 ひとつには彼が24歳の時、壮絶な事故で亡くなったことで、私の内面が否定的な処理をしていたのかも知れない。...
創世記/旧約聖書
2019年10月20日
■大いなる不完全/創世記3:21~4:8
ヨシャパテは南王国ユダの王だった。 その人間性は常に神に向かい従うものだった。 国民を思う心も主を念頭に置くものだった。 つまり何をとっても彼以上の王はいなかった。 聖書は言う、「主は王国をヨシャパテの手によって確立された。彼の心は主の道にいよいよ...
旧約聖書/創世記
2019年10月6日
■キリスト者の住処/Ⅰコリント11:1~9
キリスト者の居所、それは単に私の住所ではない。 この世に於ける住処というより、イエスと生きる次元であり彼と生きる時間である。 このような言い回しをする様になったのは、数年前に学んだ一年半の聖書問答からだった。 ヨハネ福音書を徹底して一節ずつ、それこそ舐めるようにして取り組ん...
新約聖書第一コリント
2019年9月29日
■他の人の良心のために/1コリント10:23~33
「私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、他の人の良心です。」 パウロという人は非常に真っすぐで強い男性と思っていたが、クリスチャンになって全く変えられた人となった。 自分のすべきことは、何が起ころうと、やり通す的な人の様に思っていたら実に繊細で柔軟な生き方を見せる。...
新約聖書/コリント第一
2019年9月1日
■宗教ではない、信仰である/1コリント10:14~22
『あなたは宗教を好みますか。それとも信仰を好みますか。』 一般的に世の中はキリスト教とて宗教のひとつと考える。 しかし、私にとってキリスト教は「信仰以外のなにもの」でもない。 確かにクリスチャンは毎週教会に集う。 教会としての集合、もしくは協力活動がある。...
新約聖書/コリント第一
2019年8月25日
■知識は人を高ぶらせ/第一コリント6/12~20
知識は人を高ぶらせ、愛(アガペー)は人を建てる、実にアーメンである。 アーメン以外の何ものも無い。 日本語聖書の一番大きな過ちは、三つの愛の意味を使い分けるギリシャ語をうまく訳さなかったことである。 ギリシャ語にはエロスの愛、さまざまな人間関係を形容するフィリオと無償無限の...
新約聖書/コリント第一
2019年8月18日
契約の血/マタイ26:20~39
「荒野の泉」という本から抜粋。 ある黒人男性が当時毎晩行われた天幕伝道集会に参加したところ、主は彼の内に働かれ、 集会に行く度毎に、「今からの人生と私自身を主にお捧げします。」との決意をした。 しかし、集会から帰る頃になると、決まって悪魔がやってきて囁いたそうだ。...
新約聖書/マタイの福音書
2019年8月11日
■原罪/創世記2:23~3:13
『見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く』 クリスチャンになって何十年も経って悟るのかもしれない。 上っ面で理解しようとも、深いところに落とすには、やはり年齢を重ねるのが意味があるかと思う。 失敗したり、他人を見て学んだり、葛藤の足跡を振り返って悟ったり、人...
旧約聖書/創世記
2019年8月4日
■十字架のことばは神の力/Ⅰコリント1章17~21節
山の峰、若しくは水の水源地点となるべき場所に「分水嶺」(ぶんすいれい)という石碑が立てられている。 同じ場所、同じ時刻に降った雨にせよ、場所によって左右二つに分かれ、沢となり、川の源流支流となる。 大きく分ければ一方は日本海、別の雨水は太平洋へと流れくだる。...
新約聖書/コリント人への手紙
2019年7月28日
■このことを信じるか?/ヨハネ11:20~27
搗(か)ちあう、という言葉。 物と物が突き当たるとか、肩と肩がぶつかるといったふうに使用される。 または重なる、という意味もある。 場合によっては、搗ちわない、かみ合わない会話という場合の表現もある。 イエスはベタニヤ村にあるラザロ、マルタ、マリヤの三兄妹の家にちょくちょく...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月21日
■伴侶の十字架/Ⅰコリント7:10~16
33歳でクリスチャンになったとき、キリスト教の何が解っていたかというと、完璧に何ひとつ知る由もなかった。 その朝までは・・・。 だが、あの朝、イエスは私の心に立って下さって、言葉を掛け、話しかけられたのだ。 1978年3月12日の朝までは、聖書の何かに対して、関心も興味も好...
新約聖書第一コリント
2019年7月14日
■神によって教えられる時代/ヨハネ6/41~45
私達日本人は大方に於いて、何ごともハッキリ決めつけるのは苦手なのかと思う。 つまり余裕というか、ぶれる分を多少残して置くことが好きな国民性、と感じる。 言いたいことは、多少曖昧、いい加減でもいいじゃん?・・かな。 こと外来宗教でもあるキリスト教は、相当はっきり確信を迫り来る...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年7月7日
■我が主、我が神、私のイエス/ヨハネ6:34~40
『神からのパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。』 イエスの言葉にユダヤ人が聞いた。「主よ、いつもそのパンを私たちにお与えください。」 イエスは言われた、『わたしがいのちのパンです。』 ではクリスチャンであるあなたはいつ、イエスがいのちのパンであること...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年6月30日
■何もしなくてよいのです/ヨハネ6:27~37
「何もしなくてよいのです。」突き詰めるところ、キリスト教はこうである。 人間は常に何かをしたがる生き物である。 祈るより何かをしたがる。 想うより行動だと考える。 確かにそのほうが、「やってる観」は有るし。 残念なことに、私などその急先鋒である。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2019年6月23日
■モーセがあなたは我が目と言った男/民数記10:29~36
イスラエルの民、子供から大人まで数十万人を引き連れ、エジプトから約束の地カナンへと荒野を旅するモーセとイスラエルにとって、すべての面で危険要素をはらんだ旅だったが、特に危険と思えることは自分達の居る位置を見誤ることと、水場を見失うことだった。...
旧約聖書/民数記
2019年6月16日
■500デナリの罪/ルカ7:36~47
牧師生活60年の先生の言葉 「何ごとか、為したきものと勇み立ち、危うく神を忘れんとす。」 とても正直な先生だと思った。 人生のあらましを「主のしもべ」として、神の言葉に仕えた人の実感のこもった言葉は殆どのクリスチャンの共感を呼ぶだろう。...
新約聖書/ルカの福音書
2019年6月9日
■Be a professional!/マルコ2:1~12
今回のメッセイジタイトルは25年間の中で最も過激なものだと思った。 『Be a professional!』個人的には、どうせ生きるならプロでやれ!とでも言いたかった。 プロと言っても技能とか腕前によるものではなく、キリストの前に生きる生き方であり、主と共なる人生に於いての...
新約聖書/マルコ福音書
2019年6月2日
■内なる人、外なる人/第二コリント4:16~18
1994年5月29日、つまり25年前に調布南キリスト教会の牧師として招かれた日は、とても良いお天気だったことを思いだす。 その天気とは裏腹に私の内は霧深く先がまったく見えない思いだった。 折角望まれて招かれたけど、「持って二年、早けりゃ1年・・かな。」が私の正直な腹の内だっ...
新約聖書/第Ⅱコリントびとへの手紙
2019年5月26日
ターゲット(target)/ピリピ3:12~14
パウロと私達とに類似点があるのだろうか、と考えたら多いにあるものだ、と知った。 例えばピリピ3:12節aにこう書いてある。 『私は既に得たのでもなく、既に完全にされたのでもない。』 きっと、あなたも同様であるだろう。 次に13節aにはこう書いてある。...
新約聖書/ピリピびとへの手紙
2019年5月19日