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マタイ4:1~11
- 2014年8月3日
■ もしあなたが神の子なら / マタイ4:1~11 (2014-08-03)
イエスだけに許されたこと。 それは「イエスは悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」ということ。 人は誰であっても試みに会うため、御霊に導かれることなど無い。 人間は神の霊によって100%支配されることなど出来ないからだ。 ...
マタイ21:1~14
- 2014年5月4日
■ 私の人生、私が主語 / マタイ21:1~14 (2014-05-04)
私の人生、私が主語であり、私が主格である。 そしてこれからも同様なのであろうか。 単なる宗教であるなら、それもよかろう。 自分の取り組みに満足し、誇るもよかろう。 だが、キリスト信仰は違う。 彼は永遠に生きておられる方である。 私達は宗教をしてはならない。 ...
マタイ26:14~35
- 2014年4月6日
■ 嫉妬 / マタイ26:14~35 (2014-04-06)
聖書が敢えて断定していないが、人間の罪の実として最も悲惨な結末を生み出す出口は「嫉妬」であると思う。 創世記から始まって新約聖書までドス黒く横たわっているのは「嫉妬」そのものである。 まず人類の営みの始まりにアダムとエバの二人の息子、兄のカインと弟アベルがいた。 ...
マタイ6:24~33
- 2014年1月12日
■ 原点であり到達点である / マタイ6:24~33 (2014-01-12)
人は一体、生きる意味と価値をどこに置いたら良いのだろう。 誰一人、この世に目的をもって生まれて来た人などいない。 気がついたら(少なくとも幼児期を過ぎた辺りで意識した?)生まれていたのである。 そして生きるための必要を知った。...
マタイ2:9~23
- 2013年12月28日
■ 主は語り人は聞く / マタイ2:9~23 (2013-12-29)
年末ともなると、いつものウォーキングも夕方5時は相当に暗い。 歩きながらでも、すれ違う人の顔も近くまで来なければ見分けがつかない時がある。 向こうからやってくる人の顔をちらほら見ると、その人も私の方をじろじろ見ている。 ...