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第一ペテロ5:12~14
2010年7月11日
■ キリストに従属 / 第一ペテロ5:12~14 (2010-07-11)
サッカーのワールドカップがいよいよ最終局面に入った。 どの国の選手達も130%の力で戦っている。だから面白いのであろう。 しかし、通常のゲームにおいてはやはり80~90%の力で戦っていると思う。そうでなければ体が持たない。 ...
第一ペテロ5:6~11
2010年7月4日
■ 今、わたしにとって価値あること / 第一ペテロ5:6~11 (2010-07-04)
人間の価値観は変わって当然である、と思う。 10歳以下であっても、人は既に価値観を立派に持っている。 あなたの10歳以下の頃、どんな価値観を持っておられたのだろう? 例えば、その頃の私の価値観は親に喜んで貰う事に有った。 ...
第一ペテロ 5:1~7
2010年6月20日
■ 謙遜とプライド / 第一ペテロ 5:1~7 (2010-06-20)
シーソー、英語ではSEESAWと書く。 上がったり下がったりして遊ぶ中で「見えた?」「見えたよ。」てな調子だろうか。 片方が上がれば、もう一方は下がる。真ん中の支点を挟んでバランス遊びである。 謙遜をプライドに置き換えると、うなずけるものが見えてくる。 ...
第一ペテロ4:12~19
2010年6月13日
■ 瀬戸際で出会う神 / 第一ペテロ4:12~19 (2010-06-13)
瀬戸際・・・安全と危険、成功と失敗、生と死、こられの分かれ目であり、差し迫った場面を指して言う運命の分かれ道の様なものだ。 つまり、人間にとって凶か吉の分かれ道である。 しかしどっこい、そこで待っておられる方がいることを知るのは、果たしてクリスチャンだけであろうか? ...
マタイ26:20~39
2010年6月6日
■ ナザレのイエス、その生き方 / マタイ26:20~39 (2010-06-06)
イエスは神の御子でありつつ、「ナザレの村の大工のせがれ」としてこの地上を歩まれ、この空気を吸って生きられた。 ナザレのイエス、これ以上身近に感じる表現があろうか。 このイエスゆえに、最後の晩餐を弟子たちを食され、その後に園で祈られた言葉が心に痛く響く。 ...