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■ 死がいのちに呑まれた朝 / ルカ 24:1~11 (2011-04-24)
命あるものにとって、死はすべての終わりの終わりであった。 人がたとい世界を掌握し、我がものとしたにせよ、死は彼に終わりを告げさせる。 仮に幾ら身体を鍛えたにせよ、死には勝てない。 金持ちも権力者も死は最強の敵であり、絶対に勝てない敵であった。 ...
ルカ24:1~11
2011年4月24日
■ それでもあなたは救い主なのか / ルカ23:32~48 (2011-04-17)
今年、3月11日午後2時46分、あの大きな地震、そして初めて目にした大津波。 生涯忘れ得ないものだった。これは大変なことになったという思いは当然であったが、具体的に心で整理がつかなかった。 テレビの大画面で見ていた。凄まじい津波が呑み込んで行く。 ...
ルカ23:32~48
2011年4月17日
■ 私にある信仰は、この方のおかげです。 / ルカ22:20~34 (2011-04-10)
イエスは過ぎ越しの祭りに入る日、弟子達と最後の夕食を共にされた。 (その夜の晩餐の模様を教会は二千年来、伝えて来た。) 12人の弟子たちを周囲に置き、イエスは一人一人にパンを渡し、そしてぶどう酒を分けられた。 パンはイエスの裂かれるみ体を象徴し、ぶどう酒は流される血潮...
ルカ22:20~34
2011年4月10日
■ 礼拝の心は先週の月曜から土曜で造られる / 創世記18:1~15 (2011-04-03)
暑い日の昼下がり、50メートルほど先に立ち止まる三人の男がアブラハムを見つめていた。 眠ってはいなかったが、アブラハムは余りの暑さにボンヤリしていた。 弾けたバネ如く、アブラハムは立ち上がると走りよって地面に跪いてお辞儀をした。 ...
創世記18:1~15
2011年4月3日
■ 私の主、私の神 / 創世記17:1~8 (2011-03-27)
「私の主、私の神」と言う人がどれだけおられるだろうか? 「私達の主」という表現さえ、あまり聞かない。 神さまと言っても、「私の神」とまでは言わない。 アブラハムに現れた神は仰せられた。 「わたしは全能の神(エルシャダイ)である。 ...
創世記17:1~8
2011年3月27日




