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創世記22章1~8
- 2011年7月3日
■ 山上の礼拝 / 創世記22章1~8 (2011-07-03)
祈りには幾つかの大切な要素が含まれていると思う。 1、 祈りは創造主である神への信頼度を如実に表す。 神さまを信頼すればする程に、自然と祈りは積まれると思う。単純明快に人間の信仰がそこに集中する。そして、そういう人は本当に幸せであると思う。 2、...
創世記22章1~2
- 2011年6月26日
■ 試練はテスト / 創世記22章1~2 (2011-06-26)
聖書が「試練」と語るとき、それは多くの場合「テスト」を意味する。 通常テストとは、技能、学識、資質、経験等が充分に備わっているかを計ることである。 だが、聖書におけるテストとは、信仰のテストである。 それは神が人に対して与えたもので、苦しみや困難を通して尚も神への信頼...
創世記1:1~4
- 2011年6月19日
■ 初めに神が / 創世記1:1~4 (2011-06-19)
「初めに神が天と地を造られた。」 この、お方こそがキリスト者の神である。 だが、日本人がイメージする漢字の「神」ではない。 聖書の神は「ヤハッ」「ヤハウェ」と呼ばれたが、ユダヤ人は決してその御名を口にしなかった。 それほど主を恐れ、深い畏敬の心情を示したのである。 ...
使徒の働き3:1~19
- 2011年6月12日
■ 私に有るもの / 使徒の働き3:1~19 (2011-06-12)
五旬節、過ぎ越しの祭りから50(ギリシャ語でペンテコステ)日後、であった。 その日は、イエスが復活なさってから丁度50日目であった。 キリストの再臨を待ち望む人々が大勢で屋上に上り祈っていた。 すると間もなく、火の様に見える舌の形をしたものが、弟子たち一人一人の上に降...
創世記21:14~21
- 2011年6月5日
■ 神を人生の主語とせよ / 創世記21:14~21 (2011-06-05)
「私はキリストを信じております。」この文体の主語は「私」である。 「主が私を愛して下さいました。」ここでの主語は「主」である。 つまり文章だけでなく、人生というもので、誰が主語になるかでガラッと変ってしまうのである。...