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マタイ19章16~26
- 2011年8月7日
■ クリスチャンこそ求道者 / マタイ19章16~26 (2011-08-07)
信仰の道を求める人間として、最も難しい取り組みは「己をいかに低くできるか。」であろう。 その過程で自分を空しくすることは、実に難しい。 なにせ自尊心がある。プライドも尊厳もある。 それらを殆ど押し殺して、であるからだ。 ...
ヨハネ4章41~42
- 2011年7月31日
■ リバイバルよ来たれ / ヨハネ4章41~42 (2011-07-31)
世界各地の教会では、昔から年に一度、リバイバル集会を開催するところが多い。 目的は教会自身の霊性の復興と悔い改めであり、同時に一般会衆へのアプローチ、つまり伝道のチャンスの時である。 魂が神さまに帰ることは実に清清しいというか、感動である。 ...
創世記22章12~24
- 2011年7月24日
■ 祝福の夜明け / 創世記22章12~24 (2011-07-24)
神さまは時として私達を試される。 神さまに対して、私がどれだけ従えるか? 私にとってこの世で一番大切なものは何なのか? 神以外に重要な存在がこの世にあるのだろうか? 人間にとって、この世で大切なものは、たった一つなのである。 ...
創世記22章11:11~14
- 2011年7月17日
■ アドナイ・エレ(主に備えあり) / 創世記22章11:11~14 (2011-07-17)
聖書の神は至高の神である。 つまり、この方より上なる神は存在しない。かと言って、神の下に神は存在しない。 唯一神、生きて働かれる神はイエス・キリストの父である。 神は聖なる義なる方である。 反対に人間は、その存在するところに必ず罪という足跡が残る。 ...
創世記22章7~12
- 2011年7月10日
■ 主はあなたの隣におられる / 創世記22章7~12 (2011-07-10)
自分が最も大切にしている宝を「神が欲しい」と言われたとき、人はどう反応するだろう。 しかし、その宝は神が下さったものであるとしたら・・・「やむを得ない、致し方ない。」と腹を括れるだろうか。 日本人には理解出来ない場面である。 権力とプライド、力関係によるものではない。 ...