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新約聖書 / ヨハネ福音書
- 2017年4月16日
■主はよみがえられた/ヨハネ20:1~16
キリスト教の中で、奇跡の中の奇跡といえば、完全に死んだ筈のイエスが三日目によみがえられたことである。 では、そのことを信じたからクリスチャンとなったのか、と言えばあながちそうではない。 おそらく、多くのクリスチャンが同じことを言うと思う。...
新約聖書 /ルカの福音書
- 2017年4月9日
■私を思い出して下さい/ルカ23:24~48
ある日曜の朝、約15年も礼拝から遠ざかっておられた、ある姉妹から電話があった。 今は遠く南の小笠原諸島父島で暮らしているとのことだった。 島に一つだけある教会のメンバーになりたいので、教会籍を送って欲しいとのことだった。...
新約聖書 /ローマ書
- 2017年4月2日
■私という罪/ローマ書7:15~25
死は人間にとって最も重く厳しく切実なテーマである。 教会では様々な礼拝を執り行うが、葬儀ほど礼拝堂の空気を引き締める時は無い。 それは礼拝の目的が死を第一に取り上げているからだ。 亡き人や信仰の足跡を忍ぶことは最重要課題かと思うが、第一はやはり神ご自身が最重要課題であること...
新約聖書 / ヨハネ福音書
- 2017年3月26日
■私は葡萄の枝/ヨハネ15:1~10
「わたしはブドウの木、あなた方はその枝である。」ヨハネ15章 といわれるイエスに向かって「こんな枝で宜しいのですか?」という思いと、「駄目なら切ってください。」という思いが執拗に浮かんでくる。 どうもへそ曲がりで、ひねくれた枝だと、自分でも思う。...
新約聖書 / マタイ福音書
- 2017年3月19日
■彼は誰?/マタイ16:13~23
イエスはご自身のことを敢えて「人の子」と幾度も言われた。 それは彼だけの独特な呼び方だった。 それは人々がイエスの為さる不思議なわざを見て、メシヤとかキリストが意味する「救い主」をどう位置付けするかによって最も懸念された点であった。...