検索
マタイ27:1~26
- 2015年3月22日
■ 私はバラバ / マタイ27:1~26
キリストの受難に際し、大きな役目に関わった三人の男達。 先ず、イエスを銀貨30枚で役人に売ったイスカリオテのユダ。 彼は後世、その名を不名誉な者の代表として歴史に名をにとどめた。 彼自身もイエスに対する強烈な思い込みの意味は分からない。 ...
マタイ16:6~26
- 2015年3月15日
■ 晴天の霹靂 / マタイ16:6~26
小さな雲一つさえ無い青空に突然の雷が鳴った。 仮にそういう状況があったとすれば、それを「晴天に霹靂」というらしい。 あり得ないことが突然起こった場面。 「世の人々は、私を何と呼んでいるだろう?」 弟子の誰かが答えた後で、イエスはペテロを見やった。 ...
マタイ16章13~17
- 2015年3月8日
■ 生ける神、生きる信仰 / マタイ16章13~17
日頃イエスはご自分のことを必ず「人の子」と呼んでおられた。 それは彼がメシヤ(救い主)であり、神の御子であることを敢えて隠しつつ、同時に強いインパクトを人々に与えられた、と後日、聖書を記した人々は考えたと思う。 おそらく弟子達の誰もが以前、不思議に感じたであろうことは、...
ルカ10:38~42
- 2015年3月1日
■ イの一番 / ルカ10:38~42
「イの一番」、つまりイロハ47文字(ンを入れれば48文字)の真っ先は常にイであるということ。 生き物として存在するためのイは命である。 では人間としてのイは? 人生のイは? 食べること、であるとするなら働くことか? ...
第二歴代誌33:1~16
- 2015年2月22日
■ 人心自ずと神に向かわず / 第二歴代誌33:1~16
果たして人の心は自然と神に向かうのだろうか? 確かに人間は生まれついて宗教心を持っていると思う。 だが、人の心は己が好む方向は求めたとしても、聖書の神である創造主、そしてキリストに向かうことは非常に希だと思う。 人間はもともと自分が好む神々を望むからである。 ...