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■ キリストの檄
祈りはどうしても自分中心になり易い。 当然ではあるが、事をなして下さるのは主であるから、主である神を中心にした祈りが大切である。 事をなされる方法も仕方も、主にお任せすべきである。 それが「神中心」の祈りであり、私たちの心である。 ...
マタイ11:1~10
2016年3月6日
■ 信じ切る/マタイ10章34~38
マタイの福音書10章から厳しい言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。 イエスのことば、 「わたしが来たのは平和をもたらすためでなく、剣をもたらすためである。 そのとき、家族は互いに逆らい、救い主を信じた者にとって敵となるだろう。 ...
マタイ10章34~38
2016年2月28日
■ 個は体のために、体は個のために
コリントという町は偶像の中に造られた町と思えるほど、様々な神々に満ち溢れていた。 ギリシャは神々を生み出し、大和の国は何でもかんでも神として祭り上げた。 日本人は「恐れる対象を畏れる対象にする公式」においては名人である。 ...
第一コリント8:1~13
2016年2月21日
■ 宴の肴
ローマの総督ピラトほどに有名ではないが、ヘロデという名は知る人ぞ知る存在である。 ヘロデ・アンテパスが今回の主人公であるが、人間性は父ヘロデ大王から引き継いだ。 権力に関しては政争の風向きを見逃さず、弱者を虐げ強者にへつらい、保身のためなら例え兄弟であれ踏みにじった男で...
マルコ6:14~29
2016年2月7日
■ 創世記のキリスト者 / 創世記15:1~6
「創世記のキリスト者」というタイトル。 自分ながらチグハグと思うより、逆にマッチしていると思った。 確かに新約聖書時代は教会がメイン舞台である。 そして創世記時代、教会は無い。 無いどころか聖書とか信仰の友だっていなかった。 ...
創世記15:1~6
2016年1月31日