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マタイ16:13~26
- 2008年11月9日
■ この広き道、されど狭き門 / マタイ16:13~26 (2008-11-09)
アパ・ルームというデボーション冊子にこういう「証し」があった。 父を亡くした一人の兄弟は、父親の形見として遺品の中から、空っぽの財布を選んだ。 その皮財布の匂いを嗅ぎ、おそらく父も嗅いだであろう、皮財布の匂いを懐かしんだ。 ...
マタイ16:13~23
- 2008年11月2日
■ 横たわる現実 / マタイ16:13~23 (2008-11-02)
クリスチャン生活の最大の敵は「この世の現実」である。 どれほど霊的に高められ、聖霊に満たされていても、突然目の前に立ち塞がる現実からは、逃げることは出来ない。この現実の圧倒的な力の前にねじ伏せられ、ペシャンコにされる。 ...
chofuminami
- 2008年10月26日
■ エクレシアの力 / マタイ16:13~19 (2008-10-26)
「教会」と言う呼び名称は、いわゆるギリシャ語の原語から考えると、あまり相応しくないと思う。 原語では「呼び出された者」とか「召集された集会・集まり」である。 つまり、信者の集まりがエクレシアである。 しかし、信者ではない地域住民と社会環境からは、集会そのもよりも礼拝堂...
マタイ16:13~17
- 2008年10月19日
■ 汝はキリスト、生ける神の子なり / マタイ16:13~17 (2008-10-19)
人間、精密に考えると、その内側はいつも揺れ動いている、と思う。 キリストを主と信じることは動かずとも、主に従うと言うこととか、主を喜ぶこととか、主と共に生きるとかは、絶えず微妙に変化していると思う。 そこで、副題を「死んだり生きたり、眠ったり」と考えた。 ...
マタイ2章1~16
- 2008年5月25日
■ 神は愛なり / マタイ2章1~16 (2008-05-25)
マタイ2章26節、こんな記事がある。 「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。」...