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マタイ19章16~26
- 2011年8月7日
■ クリスチャンこそ求道者 / マタイ19章16~26 (2011-08-07)
信仰の道を求める人間として、最も難しい取り組みは「己をいかに低くできるか。」であろう。 その過程で自分を空しくすることは、実に難しい。 なにせ自尊心がある。プライドも尊厳もある。 それらを殆ど押し殺して、であるからだ。 ...
マタイ6章6節
- 2010年10月10日
■ アシュラム / マタイ6章6節 (2010-10-10)
信仰生活の中で最も地味で、しかし私達にとって最も力となる取り組みは何か? 色々考えたが、いろいろある。 しかし、上記の二つが当てはまる対象は一つしかない。 それは主の前に静まって、主の言葉を聴き、祈ることである。 つまり、主と私の二人だけになることである。 ...
マタイ26:20~39
- 2010年6月6日
■ ナザレのイエス、その生き方 / マタイ26:20~39 (2010-06-06)
イエスは神の御子でありつつ、「ナザレの村の大工のせがれ」としてこの地上を歩まれ、この空気を吸って生きられた。 ナザレのイエス、これ以上身近に感じる表現があろうか。 このイエスゆえに、最後の晩餐を弟子たちを食され、その後に園で祈られた言葉が心に痛く響く。 ...
マタイ2:1~16
- 2009年12月20日
■ 最初のクリスマスは・・あなたのため / マタイ2:1~16 (2009-12-20)
ピーター・ラーソンという先生がこう言われたそうだ。 「イエスの生涯は不可能で始まり、不可能で終わっている。 つまり、処女の受胎と死者のよみがえりである。 イエスは《入るな》書かれた扉からこの世に入り、《出るな》と書かれた扉から出て行かれた。 ...
マタイ26:14~25、17:1~5
- 2009年8月2日
■ 神さまには神さまのお考えがあるんだよ / マタイ26:14~25、17:1~5 (2009-08-02)
人間、「待つ」ことが好きな人はどれぐらいいるだろうか? 私は待つことは実に苦手であった。 だが、神さまを信じる道においては、やたらと待たされるような気がしてならない。 私にとって忍耐は待つことに対してであるように思う。 祈りの答え、願った結果を待たねばならない。 ...