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マタイ26章27~43
- 2007年3月25日
■ 限界 / マタイ26章27~43 (2007-03-25)
総じて人はイエスに躓く、と思う。「躓くほどにイエスに信頼しているか?」とも聞きたい。 私など、仮にそう聞かれたら、思わずシドロモドロになりそうだ。イエスを信じない人は、既に躓いているのだろうか。そうとも言える。躓くくらい、強くイエスに賭けてみたい。 ...
マタイ3章1~12
- 2006年12月17日
■ 彼の名はヨハネ / マタイ3章1~12 (2006-12-17)
アドベント(待降節)の三週目はローズ色のキャンドルに火が灯る。 それは、バプテスマのヨハネを象徴する。彼は最後の預言者である(ルカ16:16)。 バプテスマのヨハネ、彼はイエスの親戚筋にあたる人である。 「主の通られる道を真っ直ぐにする者」として、彼の生まれる750年前...
マタイ13章3~9、18~23
- 2006年4月23日
■ 荒地も耕地に / マタイ13章3~9、18~23 (2006-04-23)
神の恵みは多種多様、限りない方法と状況をもって我々に降り注ぐ。問題は私達の側で、そのことに気がつかないだけである。マタイ13章の種まきのたとえは、神がすべての人に対し、あらん限りの恵みを給わっていることを語っている。有名な農民画家、ミレーの「種蒔く人」の絵があるが、よく見る...
新約聖書 /マタイの福音書
- 2005年12月11日
■ クリスマスその3・最後の預言者 / マタイ3:1~15
二千年前、ヨルダン川に異様な風体の男が一人現れた。髪はぼうぼうと伸び放題。ラクダの毛の衣をまとい、腰には帯を締めた様は、さしずめ野人そのものであった。食べ物がまた変っている。蝗(イナゴ)と野蜜であった。こんな男の言うことに誰が注意を払うだろうかと思うが、ところがどっこい驚く...
新約聖書/マタイの福音書
- 2005年10月9日
■ アシュラム / マタイ14:13
「イエスは自分だけで寂しいところに行かれた。」(マタイ14:13) 私達の教会は年に一度であるが、聖書の言葉を聴くためだけの集会を開く。静かな場所で個人個人が聖書の言葉に耳を傾ける。そのためだけの集会である。聴いた後、グループになって分かち合う。しかし、そこではその人の分か...