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■平和の主は唯ひとり/ヨハネ8:1~18
人が誰かを裁くとき、裁きの基準は自分の価値観である。 たとえ彼がすべてを理性に委ねたにせよ、基準は自分である。 仲間の意見を参考にしたとしても、基準は自分である。 だとしたら、私達が誰かを裁くとき、同じ思いで自分を裁けるだろうか。 無理である。...
新約聖書/ヨハネ福音書
2016年12月4日
■キリストの下に/エペソ 5:22~31
聖書が教える理想の夫婦像は、エペソ人への手紙から読み取れる。 但し、それは夫婦二人に求められる究極の生き方であり、理想でもある。 だから手が届きそうでいて、実際は半端ない導きである。 すべてにおいて言えることだが、ひとは己が打ち砕かれないと、神が求める者には成れない。...
エペソ人への手紙5:22~31
2016年11月13日
■悩める葦/使徒18:1~11
ブレイズ・パスカルの言葉「人は考える葦である」。 風が吹きつけると葦は揺さぶられ、更に強風になるとやがて倒れる。 だが、風が止むと、しばらくして葦は起き上がる。 人も自然の力、人生の苦しみに揺さぶられ、時として立ち上がれない。...
使徒18:1~11
2016年10月16日
■義人/ルカ18:9~14
「義人」読んで字の如し、正しい人という意味。 日本語辞典は「堅く正義を守る人。我が身の利害を顧みずに他人の為に尽くす人。」とある。 まあ、これだけでも殆どの人は落第であろう。 しかし、これはあくまで人間が考えた基準である。...
ルカ18:9-14
2016年10月9日
■ ワン・チャンス / ルカ16:19~31
人は世に生まれて以降、色んな瞬間、瞬間がある。 チャンス、つまり何かのきっかけとなる「時」は幾度かある。 そのチャンスを掴むか、逃すかは私たちの選択と決心に掛かっている。 但し、人生の岐路に置かれるのは、何回もあるわけではない。 ...
ルカ16:19~31
2016年10月2日




