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■ エマオの村への道すがら / ルカ24:13~32 (2014-04-27)
エマオという村へ向かう二人の男があった。 彼らはイエスの弟子達であった。 その日の朝、イエスの死体に香油を塗りに行った女達から、にわかに信じ難い情報がもたらされた。 イエスの遺体が納められた墓の蓋石は転がしてあり、中は空っぽでイエスの体は見当たらず、途方に暮れていると...
ルカ24:13~32
2014年4月27日
■ あなた方は何故生きた方を死人の中に探すのですか? / ルカ24:1~8 (2014-04-20)
今年の二月、親戚の叔母さんが亡くなった。 葬儀会場に流れていた歌は故島倉千代子さんのヒット曲、「人生色々」だった。 聞いているとこの歌こそセレモニー・ホールの葬儀会場では、実にマッチしたテーマソングとも言える歌詞内容だった。 ...
ルカ24:1~8
2014年4月20日
■ 私はキリストと共に十字架につけられた / ルカ23:1~23 (2014-04-13)
イエスが裁判に掛けられた理由は、「神を父と呼んだ」からであった。 それはとにかく、当時の律法学者、祭司、ユダヤ教集団はイエスを抹殺することが本音であった。 神の御子イエスは人間が欲しいと思っても手に入れられないすべてを持っておられた。 ...
ルカ23:1~23
2014年4月13日
■ 嫉妬 / マタイ26:14~35 (2014-04-06)
聖書が敢えて断定していないが、人間の罪の実として最も悲惨な結末を生み出す出口は「嫉妬」であると思う。 創世記から始まって新約聖書までドス黒く横たわっているのは「嫉妬」そのものである。 まず人類の営みの始まりにアダムとエバの二人の息子、兄のカインと弟アベルがいた。 ...
マタイ26:14~35
2014年4月6日
■ I am the VINE (わたしは葡萄の木) / ヨハネ15:1~10 (2014-03-30)
「I am the Vine」とは、英訳聖書の「わたしは葡萄の木」という言葉である。 イエスはいわれた、「わたしは葡萄の木。あなたがたはその枝である。」。 わたしは葡萄の木、I am the Vine。 このバインという言葉が実に短くて響きがいい、と思った次第である。...
ヨハネ15:1~10
2014年3月30日




