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■ 原点であり到達点である / マタイ6:24~33 (2014-01-12)
人は一体、生きる意味と価値をどこに置いたら良いのだろう。 誰一人、この世に目的をもって生まれて来た人などいない。 気がついたら(少なくとも幼児期を過ぎた辺りで意識した?)生まれていたのである。 そして生きるための必要を知った。...
マタイ6:24~33
2014年1月12日
■ 主は語り人は聞く / マタイ2:9~23 (2013-12-29)
年末ともなると、いつものウォーキングも夕方5時は相当に暗い。 歩きながらでも、すれ違う人の顔も近くまで来なければ見分けがつかない時がある。 向こうからやってくる人の顔をちらほら見ると、その人も私の方をじろじろ見ている。 ...
マタイ2:9~23
2013年12月29日
■ あなたのために / ルカ2:1~20 (2013-12-22)
神の御子がこの世にお生まれになったとき、寝かされた場所は家畜の飼い葉桶だった。 その瞬間の景色を想像すると、実に御子イエスの宿命を象徴するものだった。 飼い葉桶、それは確かに不潔極まりないものであった。 第一、清潔な飼葉桶など無い。 ...
ルカ2:1~20
2013年12月22日
■ 100%の主導権 / マタイ1:16~25 (2013-12-15)
人間のいるところ絶えない、決して尽きないのは主導権争いである 特に政界などは、その代表的な場所でもある。 政党が合体したかと思うと、一年も経たずに離党したり、解党する。 そしてアメーバの様に、別な場所で他の政党と合体する。 ...
マタイ1:16~25
2013年12月15日
■ 聖絶 / ヨシュア記7:1~13 (2013-11-24)
ヨルダン川を渡り、約束の地に足を踏み入れたイスラエルは主の約束と導きの下、文字通り連戦連勝の日々であった。 それは彼らが主を信じ、戦いと結果を主に委ねたからである。 「恐れてはならない、雄雄しくあれ」との、主からのみ声を聞いたヨシュア達は神への従順により戦ったのである。...
ヨシュア記7:1~13
2013年11月24日




