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■ アブラハムの子孫を石ころと呼んだ男 / ルカの福音書3:1~18 (2010-12-12)
2千年前、神の選民であるユダヤ人、しかも宗教熱心な人々を切って捨てた男がいた。 別に切り殺したのではない。 自分たちこそ宗教熱心であり、他国民、他民族とはひと味もふた味も違うのだ、と自負して止まない人々がいた。 「血筋で言うなら、我らはアブラハムの子孫、ヤコブの子孫。...
ルカの福音書3:1~18
2010年12月12日
■ まことの光りが世に来ようとしていた / ヘブル3:1~15 (2010-12-05)
キリスト信仰は心に灯る希望の灯りである。 それは決して華々しい光りではない。消えそうで消えない光りの如くである。 イザヤ書の一節、「彼はくすぶる灯心を消すことも無い・・・」まるでそういう方である。 くすぶっているだけの信仰であっても、イエスは決して消さない。...
ヘブル3:1~15
2010年12月5日
■ イエスはその為に来られた / ヨハネの福音書3:1~16 (2010-11-28)
南半球のクリスマス・シーズンは気の毒な面がある。 それは夏のクリスマスだからである。 やはりクリスマスと言うと、積もった雪、晴れ上がった冬の夜空に輝く星。 見渡せば点々と灯る各家の明かり。 クリスマスには欠かせない情景であるが、これが夏だったらと思うとイメージが合わ...
ヨハネの福音書3:1~16
2010年11月28日
■ キリストにしがみついて生きなさい / 第二ペテロ3:14~18 (2010-10-24)
信じるという言葉から信仰という派生語につながる。 但し、これはあくまで日本語においてである。 信仰とは「私の中の神の国」ではないかと思った。 いつも私の内に存在している世界であり、私だけのものである。 そして、それは生きているのだ。ここが素晴らしい。 ...
第二ペテロ3:14~18
2010年10月24日
■ アシュラム / マタイ6章6節 (2010-10-10)
信仰生活の中で最も地味で、しかし私達にとって最も力となる取り組みは何か? 色々考えたが、いろいろある。 しかし、上記の二つが当てはまる対象は一つしかない。 それは主の前に静まって、主の言葉を聴き、祈ることである。 つまり、主と私の二人だけになることである。 ...
マタイ6章6節
2010年10月10日




