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■ 聖霊不在の時代、そして今も相克の時代なのか / 創世記31:29~55 (2012-12-02)
旧約聖書時代、そして現代の世界と日本、一般社会の共通点は何か? それは聖霊不在の世の中、であるということ。 しかし神選ばれし民、イスラエルには少なくとも少数ながらも創造主を信じて生きる人々はいたのである。 それでも当時の人間社会は現代日本と同様?に欲と権力が堂々と横行...
創世記31:29~55
2012年12月2日
■ 蒔いた種は必ずいつか芽を出す / 創世記31:1~29 (2012-11-25)
種は種でも神さまが蒔く種と、人間が蒔く種はこうも違うのか、と考えた。 キリストが蒔かれる種は、やがて人に救いをもたらす。 人の心の中に蒔かれて育ち、やがて芽を出し花を咲かせ、実をならす。 一人の救いは家族の救いへと広がる。 人間が蒔く種に良いものはない。 ...
創世記31:1~29
2012年11月25日
■ 旅立ち / 創世記28:1~22 (2012-11-18)
日本でも凡そ終戦前まで、人間世界は狭かった様に思う。 つまり居住している地域が変わると、他の地域に住む人間性にどことなく違和感を感るのが人の常であった。 そこで、何かと頼りたく枝道は広がるも、どこかで繋がっているころ安心し、頼りにし易かったのだと思う。 ...
創世記28:1~22
2012年11月18日
■ 窮極たるは血 / 創世記27:22~41 (2012-11-11)
旧約聖書時代、実に世界は広かった。 それだけ人間社会は民族が孤立して生きていたということである。 部族の違いは、まるで外国人並みだった。 アブラハム達、中東の片隅で生きていた人々にとって、先住民はまるで異邦人だった。 ...
創世記27:22~41
2012年11月11日
■ 煮豆か神か・・・ / 創世記25:20~34 (2012-11-04)
時として「死ぬほど腹がへる」のを覚えたことは、誰にもあるだろう。 ふらついて倒れるほどに。 エサウはそういう思いだった。 ふと見ると弟のヤコブが料理をしていた。 良い香りがする。たまらずヤコブのそばに行った。 「おい、それを一皿くれないか。腹がすいて死にそうなんだ...
創世記25:20~34
2012年11月4日




