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■ 主は生きておられる / 第一列王記17章1節 (2012-08-19)
8月17日から19日までの3日間、短い時間ではあったがゴスペルを歌う仲間と共に、宮城県の仮設所、教会を訪問できた。 非常に暑かった。そして仮設住宅は実に暑い環境だった。 仮設に住んでおられるご婦人達と昭和の歌を一緒に歌い、教会で歌われる歌を聴いてもらった。 ...
第一列王記17章1節
2012年8月19日
■ 仮に心が燃えていても・・・ / ルカ24:13~32 (2012-04-08)
イエスがよみがえられた知らせは、女性たちや弟子達も信じられないことであった。 絶対に起こり得ないことが起こった。 だから誰一人、それを肯定的に受け入れられる者はなかった。 (受け入れられるのではなく、前向きに受け入れるべき時だってある。) 死者のよみがえり・・・ ...
ルカ24:13~32
2012年4月8日
■ から壷に火を入れて / 士師記7:13~22 (2012-03-18)
敵は13万5千人、味方はたったの300人。1対450.・・・果たして何が出来るのか。 何も出来る筈がない。だからこそ、頼るは神のみである。 こういう場面、人生ではそうそうと無い。 無いからこそ、実に貴重な瞬間である。 ...
士師記7:13~22
2012年3月18日
■ 不条理の谷で見る灯り / 詩篇22:1~8 (2012-03-11)
思えばこの世は不条理だらけである。 世界の平和、人々への平等等々、願った通りに行かないことが多すぎる。 ひたすら耐えなければならないときがあり、助けが見えないときがある。 絶望の二文字さえも感じられない厳しい局面がある。 ...
詩篇22:1~8
2012年3月11日
■ 勇気 / 士師記7:8~15 (2012-03-04)
クリスチャンになる前、「勇気」という言葉から直感したのは「度胸」でった。 そう、男は度胸、女は愛嬌の時代だった。 しかし、勇気と言うからには単に度胸に留まらない。 それは正しいと信じた道を真っ直ぐに進むこと、ではないだろうか。...
士師記7:8~15
2012年3月4日




