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■ 神の領土に生きよ / 創世記13:8~18 (2009-07-05)
気の遠くなるような昔、アブラムは妻のサラ、そして甥のロトや使用人、ロバ、羊を伴ってカナン、現在のイスラエル、パレスティナ地方へ旅をした。それぞれに財産も蓄えており、使用人同士の喧嘩も予想されたため、ある日アブラムはロトに提案した。 ...
創世記13:8~18
2009年7月5日
■ リバイバルがやって来た / ヨハネの福音書4章35節 (2009-06-28)
2009年教会リバイバル集会が来た。 願いは幾つもある。教会員家族の救い、地域の人たちの救い、教会の人たちやクリスチャン達を核として考えた場合、取り巻く人間関係すべて。そして、この日本の救いである。どうしたらクリスチャン人口を1%以上に・・・否、10%に出来るだろう。 ...
ヨハネの福音書4章35節
2009年6月28日
■ 天国のドアが開いた!Hevens door was opened / ヨハネの福音書4:25~42 (2009-06-21)
今日は「父の日」 父は死んでから感謝される傾向が圧倒的である。母に比べれば、父は不遇である。 しかし、このへんでひねくれたりしてはいられない。そこで凹んでいるようでは、まだまだヒヨッコの父だ。 そんなことは「あったりまえ」と思うくらいでないと、前にも進めない。...
ヨハネの福音書4:25~42
2009年6月21日
■ 心ほどいて・・・Open your heart / ヨハネの福音書4:15~26 (2009-06-14)
1986年夏、私は主に向かって「主よ、私のことは諦めてください。私は自分が出来ないことが何であるか知っていますから。神さまが望まれるような仕事も出来ないですし、ましてやそういう器ではありません。」と祈った。 それは「牧師になりなさい」という招きをしておられる神さまへの「断...
ヨハネの福音書4:15~26
2009年6月14日
■ Open the door / ヨハネの福音書4章3~16 (2009-06-07)
生ける命の水、どんな味?説明できません。 生ける命の水を飲むと何が起きる?説明したって信じてもらえません。 そうです、飲んでみなけりゃ分からんのです。 飲んでみたら、分かるのです。 それはキリストさまと同じです。 幾ら説明したとて、納得などしてもらえないのです。 ...
ヨハネの福音書4章3~16
2009年6月7日
■ 聖霊は助け主 / 使徒の働き1章3~8節 (2009-05-31)
今日はペンテコステの日、すなわち五旬節である。 ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」から数えて50日目であるが、キリスト教会においては 「聖霊」が弟子たちに下られた記念すべき日である。 聖霊の働きなくして、誰一人「イエスを主と告白」することはない。 ...
使徒の働き1章3~8節
2009年5月31日
■ イエスに会えば一番は二番になる / マルコの福音書2:1~12 (2009-05-24)
どこででも、誰にでも、いつでも、イエスは伝道された。 そこに人がいれば、群集であろうと、一人であろうと彼は伝道された。 一に伝道、二に伝道であった。 イエスの伝道は罪の赦し、そのものである。 私達がイエスのところに行くときはどんな理由があるだろう? ...
マルコの福音書2:1~12
2009年5月24日
■ 神を信じなさい / マルコの福音書11:11~24 (2009-05-17)
ある本にこう書かれていた。 「祈りに力があるのではない・・。」 エッ!本当? 続いてこう書いてあった。「祈りに力があるのではない。神に力があるのです。」 ウン、納得。でもビックリした。そして真理に出会った思いがした。...
マルコの福音書11:11~24
2009年5月17日
■ 最悪の中に最善が隠されている / ルツ記1:1~2:3 (2009-05-10)
当然であるが、すべての人には母がいる。 父の存在も当然であるが、母の存在は別な意味合いがある。それは自分が母の胎内で組み立てられ、生まれて来たからであろう。 母は、遠くて大きくて温かい故郷の様なイメージがある。母が亡くなってから何年も経つと、その思いが強くなるのも不思議...
ルツ記1:1~2:3
2009年5月10日
■ 弱さの中に働かれる神 / 第一コリント1:26~31 (2009-05-03)
神は人の弱さの中において完全に働かれる。 人間的な強さにあるとき、神さまは働かれない。人間的な我の強さが彼自身を掌握しているからである。又は、彼の自信、実力、キャリア、プライドが先んじており、神を必要としていないからだ。 パウロはギリシャにある教会に向けて手紙を書いた。 ...
第一コリント1:26~31
2009年5月3日
■ エベン・エゼル、人生と教会 / 第一サムエル記7:1~13 (2009-04-26)
旧約聖書、サムエル記に「エベン・エゼル」と言う言葉が出てくる。 私の好きな箇所だ。 昔、イスラエル人が敵と戦い、ようやく勝利を収めた際に、勝利を記念して石を立てたとき、「主がここまで私達を助けてくださった」という意味から「エベン・エゼル」(助けの石)と名づけた。 ...
第一サムエル記7:1~13
2009年4月26日
■ その狭き門があなたを救う / マタイ7章13~14 (2009-04-19)
日本人にとってイエスは実に狭き門である。 日本人は、神々に対しては非常に寛容であるが、「何故、キリストでなければならないのか?」に至ってしまう。明治時代、この日本はやがてキリスト教国になると思われたらしい。それくらい、大勢の日本人が聖書に傾倒していたのであろう。やがて軍国...
マタイ7章13~14
2009年4月19日
■ 彼はよみがえられた! / マルコの福音書16:1~14 (2009-04-12)
イエスのよみがえり、言葉に表現しきれないものをもたらしてくださった。 人類の歴史に偉大で膨大な変革をもたらした。 毎年、毎年、そのことを思う。 もし、イエスさまがよみがえらなかったなら?世界はまったく違っていたのだ。どう違うかと言っても、想像もできない ...
マルコの福音書16:1~14
2009年4月12日
■ 主は振り向いて、あなたを見つめられる / ルカの福音書22章39~62 (2009-04-05)
最後の晩餐をとられてから、イエスは弟子達の面前でペテロにいわれた。 「わたしはあなたの信仰が無くならないように祈った・・」 思いもしなかった言葉を皆の前で、しかも名指しで言われたペテロであった。 弟子達の中でリーダーを自負するペテロのプライドは、持っていく場が無かった...
ルカの福音書22章39~62
2009年4月5日
■ 失うことも神の摂理 / マルコの福音書14:1~9 (2009-03-29)
受難週の水曜日、イエスは親しくされていたベタニヤ村のある家族の家に宿泊された。 その家は兄弟姉妹の三人家族であったが、イエスは我が家に帰ったかのよう思われた。 既に十字架が迫っていることをイエスは知っておられ、最後のときをもたれた。 ...
マルコの福音書14:1~9
2009年3月29日
■ 宮きよめ / ヨハネの福音書2章13~25 (2009-03-22)
教会の暦では、受難週の月曜日が「宮きよめ」と呼ばれる日にあたる。 エルサレム神殿で商売をしていた人たち、また両替商たちをイエスは怒って蹴散らされた。 およそイエスさまらしくない、と感じてしまう行動であった。 どんな仕事であっても、それで生計を立てているのに・・・とつい...
ヨハネの福音書2章13~25
2009年3月22日
■ 妙なるかな、神からの賜物 / 第一コリント12章~14章 (2009-03-15)
「賜物」、つまり神さまが人間(クリスチャン)に与えられる特別な「力」「能力」と言われるものである。賜物であるから無料であるし、神さまからのギフト(贈り物)である。 信仰が成長する、いわゆるその人の内側が耕され練られ、謙遜になったりする過程で賜物が与えられるのである。...
第一コリント12章~14章
2009年3月15日
■ あなたは本当に自分を愛していますか? / ルカの福音書10章25~37 (2009-03-08)
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。」 聖書の機軸となる言葉である。 では、どれほどの人が、心から自分を愛しているのだろうか? 私は本当に自分を愛しているのだろうか? あなたは、心から自分を愛していますか?...
ルカの福音書10章25~37
2009年3月8日
■ 死にきれない私 / ガラテヤ人への手紙2章20節 (2009-03-01)
パウロはガラテヤ2:20で言う。「私はキリストと共に、十字架につけられた」 私達は言う。「キリストが私の罪のために、身代わりになって死んでくださった。」 確かに罪の贖いにおいては、そのとおりである。 しかし、この信仰生活の継続においては日々、自分を十字架につけて行くこと...
ガラテヤ人への手紙2章20節
2009年3月1日
■ 金か神か? / ルカの福音書19章1~10 (2009-02-22)
ある晩、強盗が忍び込んだ。手に出刃包丁(大分、時代がかっているが・・)を持って、家人の喉元に突きつけ、言った。 「声を出すんじゃねえ。命が欲しいか、それとも金を出すか?どっちを選ぶ?」 震える声で答えた。「ど、どうか命だけは・・・金、金を持って行ってくれ・・」...
ルカの福音書19章1~10
2009年2月22日




