検索
■ UMBLIEVABLE・信じられないこと / ヨハネ20:1~20 (2010-04-04)
「何が信じられないか」と言って、最も信じられないことが起こった。 それは死んで三日目になろうとしているのに、その人がよみがえったことであった。 イエスのよみがえり、それも顔や姿が確かに今までのものであっても、何かが違うのであった。 ...
ヨハネ20:1~20
2010年4月4日
■ 父よ、彼らを赦し給え / ルカ23:32~48 (2010-03-28)
1946年夏、既に終戦の翌年であった。 シンガポール、チャンギ刑務所。 日本人BC級戦犯が収容されている刑務所は、一年前までは連合軍兵士の捕虜収容所であったが、今は両者の立場が逆転していた。 「ナカムラ」という兵士は軍医であったが、盲腸炎を患ったため、イギリス兵軍医ら...
ルカ23:32~48
2010年3月28日
ヨブの新生 / ヨブ記42:1~6 (2010-03-21)
長かったヨブの苦しみにも遂に光りが差すときが来た。 だが、彼が執拗に求めた苦しみの意味に対する明快な答えは、もたらされなかった。 しかし、ヨブが求めた百倍の価値ある答えが与えられた。 ヨブの言葉を聞くとき、私たちは理解できるのだ。...
ヨブ記42:1~6
2010年3月21日
■ 神よ、あなたはどの様なお方なのですか / ヨブ記40:1~14 (2010-03-14)
イルカ漁のドキュメンタリー映画がアカデミー賞を獲得して、世界に知られてしまった出来事があった。 地元にも相応な言い分があり、日本、海外、そして歴史観や文化論、動物愛護論など盛んな意見が行き交っている。 しかし、時代と文化、歴史観、価値観は常に変わって行く。 ...
ヨブ記40:1~14
2010年3月14日
■ ヨブよ、幼子になりなさい / ヨブ記38:1~11 (2010-03-07)
ヨブ記は信仰そのものの深い意味を悟らせる、そんな思いがした書物であった。 その深さとは、誰にでも到達できるものであり、誰もが到達できない山の頂上のようなものかも知れない。 自分を神に明け渡しきると言おうか、己(人間)の限界を悟ると言おうか、神だけが絶対的で無限な方である...
ヨブ記38:1~11
2010年3月7日
■ 信じられないときこそ神を信ぜよ / ヨブ記1:1~22 (2010-02-28)
神に愛されているキリスト者はサタンにとって格好の敵ともなる。 私達は決して望みはしないが、サタンが攻撃を仕掛けて来る位の信仰を主に対してもつべきであろう。 サタンが安心しきって居眠り出来る様なキリスト者では主の御名に申し訳ない。 ...
ヨブ記1:1~22
2010年2月28日
■ 人は結局、何にも分かっちゃいない / ヨブ記23:1~17 (2010-02-21)
ヨブは友人に向かって自分の生き方に、過ちの無かったことを叫ぶ。 そして彼は神に向かって叫ぶ。 「神よ、私はあなたに訴えたいことが山ほどあります。 尋常でないこの苦しみは一体何のためですか? 出来ることなら、あなたを拝し、そして私の言い分を聞いて欲しのです。 ...
ヨブ記23:1~17
2010年2月21日
■ 人の心、そう簡単に開けない / ヨブ記32:1~9、33:12~18 (2010-02-14)
キリスト教会、そして信徒一人一人、実に様々である。 先ず、教団が様々ある。実に微妙な部分での違いであるが、そこが譲れないところなのである。何も、そこまで拘らなくてもよいのに・・と思われるけれども、半歩も譲れないからこそ、これほどの教団教派が存在するわけだ。 ...
ヨブ記32:1~9、33:12~18
2010年2月14日
■ 絶不調の時もある / ヨブ記13:15~28 (2010-02-07)
絶好調と言う言葉はあるが、絶不調という言葉はない。 しかし、絶不調を感じる精神状態は時として感じる。 絶好調は長く続かないが、絶不調は長引く様に思えてならないのは、果たして人間の感情ゆえであろうか? 現代生活は特に絶不調が多いように思えて仕方が無い。 ...
ヨブ記13:15~28
2010年2月7日
■ 人とはいったい何様でしょう / ヨブ記9:15~21 (2010-01-31)
欧米のクリスチャン両親が、その子供達に命名する際、聖書からやはり意味ある名前を考えた。当然である。この子には幸せになって欲しい。勇気ある信仰者に育って欲しいと思うからだ。 だから、正しい人であり、そして有名であるが、兄に殺されたアベルの名など先ず聞かない。 ...
ヨブ記9:15~21
2010年1月31日
■ 信仰は神からのもの / ヨブ記2:7~3:1 (2010-01-24)
ふと妙なつながり?感じた。 「皆さんは刑事コロンボのドラマがお好きであろうか。懐かしい番組であったが、今も何度目かの再放送がされている。 あのストーリーとコロンボ刑事が好きだった。 風采の上がらない中年刑事コロンボだが、こと事件に対しては、見た目と大違いの鋭い目と嗅覚...
ヨブ記2:7~3:1
2010年1月24日
■ 信じること、それがすべてである / ヨブ記2:1~10 (2010-01-17)
一般の人生だけでなく、クリスチャン人生にも限りなく試練は訪れる。 試練によって人は鍛えられ成長もする。 しかし、これまでに大きな試練に出会っていない人は、今だからこそ出来ることがある。 それは試練に耐えうる信仰を築くことである。...
ヨブ記2:1~10
2010年1月17日
■ 天上のことなど人は知る由もない / ヨブ記1:1~12 (2010-01-10)
ヨブ記は、人間がどれほど神の世界を知らずに生きているかということを、悟らせる書物である。 ヨブほど神を畏れ敬う生活を送った人など、この地上にいない。 そして、ヨブほどの試練を受けた人もいない。 聖書が言う、「東の国の人々の中で一番の富豪であった。」だけでなく、7人の息...
ヨブ記1:1~12
2010年1月10日
■ 年の初めに思うこと / ヨハネ13章1~15 (2010-01-03)
年の初めに思うこと、それは今年がどんな1年になるだろうか、ということであろう。 誰もが試みは少なく、嬉しいことを多く願いたいのである。 だが、人間には1秒先も分からない。増してや1年先などとんでもない話しである。 人生に暗雲は付きものである。 ...
ヨハネ13章1~15
2010年1月3日
■ 「最初の」クリスマス、本当の贈り物 / ルカの福音書2:1~18 (2010-01-01)
仮に、家族というテーマにおいて美しい画をイメージするとしたら、本当の美しさとは華麗で煌びやかで裕福な家族よりも、この上なく貧しい中にも愛ある情景が選ばれると思う。 不思議なことであるが、無いものだらけとは何と美しいのだろうかと思う時がある。 ...
ルカの福音書2:1~18
2010年1月1日
■ ヨシュアの告別 / ヨシュア記24:14~29 (2009-12-27)
ヨシュア、エジプトを脱出し約束の地に向かったイスラエルの旅に欠かすことの出来ない人物である。 若くして素晴らしい器であった。モーセを助け、神と人に仕えたが、彼自身は非常に強い意思と人格の持ち主だった。 強い性格と意思を持つ人においては、神にへりくだることは容易いことでは...
ヨシュア記24:14~29
2009年12月27日
■ 最初のクリスマスは・・あなたのため / マタイ2:1~16 (2009-12-20)
ピーター・ラーソンという先生がこう言われたそうだ。 「イエスの生涯は不可能で始まり、不可能で終わっている。 つまり、処女の受胎と死者のよみがえりである。 イエスは《入るな》書かれた扉からこの世に入り、《出るな》と書かれた扉から出て行かれた。 ...
マタイ2:1~16
2009年12月20日
■ クリスマス・混在する希望と悲しみ / ヨハネ3章16節 (2009-12-13)
福音書でイエスの降誕記事を書いたのは、マタイとルカである。 マタイはユダヤ人(へブル人)に向けて、そしてルカは異邦人に向けて、霊なる神があきらかに時間の世界に介入された事実を書いた。 マリヤの処女受胎、起こりえない出来事である。 ...
ヨハネ3章16節
2009年12月13日
■ ピリピ2章6節・ここにクリスマス / ピリピ人への手紙2:3~8 (2009-12-06)
イエス・キリストを信じる私達には「偶然」という言葉も概念も無い。 霊なる神の「御心と摂理」が働いておられるからだ。 「たまたま」も無ければ、「運よく」も無い。 私達夫婦がクリスチャンとなるきっかけは、一人のアメリカ人女性の存在があった。 ...
ピリピ人への手紙2:3~8
2009年12月6日
■ 不条理の地に恵みの花が咲く / 第一ペテロ2:13~17 (2009-11-29)
道理に適わないことを「不条理」という。 納得が行かない事件や出来事が多すぎる昨今の人間社会である。 残酷非道な仕打ちを受けて殺された人たちと、その両親家族のことを考えると、慰めに掛ける言葉など到底見つかるものではない。 旧約聖書の世界にもそういった場面が多く登場する。...
第一ペテロ2:13~17
2009年11月29日




