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■ 恐れるな。わたしはあなたの盾である。 / 創世記15章1節 (2011-02-06)
神さまは私の人生に「二つのハードル」を置かれたと思う。 一つ目はイエスを心にお迎えすること。 つまり、イエスを信じ、救われることである。 二つ目は人生を通して、神への信頼度を高めること。 ノホホンと生きていて、神への信頼度は高まらない。 ...
創世記15章1節
2011年2月6日
■ 生々しく生きて、枯れて死ぬのも悪くない / 申命記10:12~22 (2011-01-30)
旧約聖書が語る神さまと、新約聖書の教える神さまが同じ方だと思えないときがある。 そう感じる人は決して少なくないであろう。 確かに旧約聖書は律法的である。 だが、旧約の厳しい言葉も、神の愛の迫りゆえと思うと、納得できる。 ...
申命記10:12~22
2011年1月30日
■ 語られるに時があり、聴くに時がある / 創世記13:1~18 (2011-01-23)
アブラムは神に導かれて、カナンへと入って行った。 ある場所、モレの樫の木の所に来た。 当時、そこにはカナン人がいた。 そこで主は彼に現れた、と聖書は言う。 そして仰せられた。 「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」 アブラムは主のために祭壇を築いた。 ...
創世記13:1~18
2011年1月23日
■ 乳と蜜の流れる地 / 申命記11:8~18 (2011-01-16)
旧約聖書の前半に多く登場する言葉がある。 それは「乳と蜜の流れる地」である。 それほどに潤った肥えた地、という意味である。 イスラエル人は先祖に約束された「神がアブラハムに与えられた土地」を生まれて初めて見たとき、そう思ったのである。 ...
申命記11:8~18
2011年1月16日
■ そうすれば、こうなる / 創世記11:31~12:4 (2011-01-09)
唯一の神、まことの神さまは難しい関門を私達に与えない。 人間は「これでもか、これでもか」という程のテストと試練を用意する。 遠い昔、父テラの判断の下、アブラムたち家族は今のイラクにあるバスラ近辺に位置した町、ウルから一族郎党連れだってカナンに行こうと出立した。 ...
創世記11:31~12:4
2011年1月9日
■ 試練と喜びを同時に下さる主 / 申命記8:1~20 (2011-01-02)
2010年、新聞やテレビを通して伝えられるニュースを振り返ると、総じてこの世は良い方向に進んでいないことが目立つ。 争いごと、貧困と飢餓、自国中心主義、自然の猛威と襲来、次々と尽きない日々の連続であったが、だからこそニュースになるのであろう。 ...
申命記8:1~20
2011年1月2日
■ クリスマスの贈り物 / ルカの福音書2:1~18 (2010-12-26)
仮に、家族というテーマにおいて美しい画をイメージするとしたら、本当の美しさとは華麗で煌びやかで裕福な家族よりも、この上なく貧しい中にも愛ある情景が選ばれると思う。 不思議なことであるが、無いものだらけとは何と美しいのだろうかと思う時がある。 ...
ルカの福音書2:1~18
2010年12月26日
■ すべては神さまの御心のままに / ルカの福音書1:26~38 (2010-12-19)
「すべては神さまの御心のままに」これほど簡単に喋り、これほど重い言葉がないことをご存知であろうか? だが、私達は余りにも軽く喋っている。 人間とはそう簡単に手を離す生き物ではない。 人間とは実に、自分が握っていたい、離せない生き物である。 ...
ルカの福音書1:26~38
2010年12月19日
■ アブラハムの子孫を石ころと呼んだ男 / ルカの福音書3:1~18 (2010-12-12)
2千年前、神の選民であるユダヤ人、しかも宗教熱心な人々を切って捨てた男がいた。 別に切り殺したのではない。 自分たちこそ宗教熱心であり、他国民、他民族とはひと味もふた味も違うのだ、と自負して止まない人々がいた。 「血筋で言うなら、我らはアブラハムの子孫、ヤコブの子孫。...
ルカの福音書3:1~18
2010年12月12日
■ まことの光りが世に来ようとしていた / ヘブル3:1~15 (2010-12-05)
キリスト信仰は心に灯る希望の灯りである。 それは決して華々しい光りではない。消えそうで消えない光りの如くである。 イザヤ書の一節、「彼はくすぶる灯心を消すことも無い・・・」まるでそういう方である。 くすぶっているだけの信仰であっても、イエスは決して消さない。...
ヘブル3:1~15
2010年12月5日
■ イエスはその為に来られた / ヨハネの福音書3:1~16 (2010-11-28)
南半球のクリスマス・シーズンは気の毒な面がある。 それは夏のクリスマスだからである。 やはりクリスマスと言うと、積もった雪、晴れ上がった冬の夜空に輝く星。 見渡せば点々と灯る各家の明かり。 クリスマスには欠かせない情景であるが、これが夏だったらと思うとイメージが合わ...
ヨハネの福音書3:1~16
2010年11月28日
■ 目に見えない神よりも、目に見える王が欲しい / 第一サムエル記12:1~16 (2010-11-21)
目に見えない神よりも、目に見える王が欲しい。 これがイスラエル民族の偽らざる気持ちであったろう。 約束の地に住みなれた頃、イスラエルが感じたことは、周囲の民族、国には王がいたことだった。 そしてイスラエルの歴史で初めて王が意識された。 ...
第一サムエル記12:1~16
2010年11月21日
■ 主が私の王 / 第一サムエル記8:1~22 (2010-11-14)
私は1978年、33歳の時にキリストを信じる信仰をいただいた。 信仰は神からの贈り物、賜物である。 その日から私の人生は西暦時間になった。 それまでは、すべてが昭和時間であった。 昭和何年に卒業し、昭和何年に起業し・・・結婚、子供の誕生、すべて昭和で理解した。 ...
第一サムエル記8:1~22
2010年11月14日
■ あなたは変る必要がありますか / 第一サムエル記3:11~21 (2010-11-07)
神は少年を呼ばれた。 「サムエル、サムエル」 有名な箇所である。 四度目にサムエル少年は応えた。「はい、ここにおります。何か御用でしょうか。」 神が語られた内容は、これから祭司の家に起こるであろう恐ろしい出来事であった。 ...
第一サムエル記3:11~21
2010年11月7日
■ 神があなたを呼ぶ / 第一サムエル記3:1~10 (2010-10-31)
旧約聖書の冒頭、創世記から数えて七つ目に「士師記」という書がある。 いわばカリスマ性、優れた武力、並外れたリーダーシップ、鋭い信仰、といった力や才能を持った人たちがイスラエル民族を助け導いた記録である。 そこには映画のモデルになったサムソン、信仰者としてのギデオン、更に...
第一サムエル記3:1~10
2010年10月31日
■ キリストにしがみついて生きなさい / 第二ペテロ3:14~18 (2010-10-24)
信じるという言葉から信仰という派生語につながる。 但し、これはあくまで日本語においてである。 信仰とは「私の中の神の国」ではないかと思った。 いつも私の内に存在している世界であり、私だけのものである。 そして、それは生きているのだ。ここが素晴らしい。 ...
第二ペテロ3:14~18
2010年10月24日
■ 主は生きておられる / 第一列王記17:1~8 (2010-10-17)
「主は生きておられる」 これだけが私達の力である、と言っても過言ではない。 生きておられる主を信ずれば生きた信仰となる。 思想だけではない、理想だけではない、神学でもない。 自分が今生きる人生に、試練の嵐の中に、騒音とストレスの中に、行き詰まった問題の中にもイエスは...
第一列王記17:1~8
2010年10月17日
■ アシュラム / マタイ6章6節 (2010-10-10)
信仰生活の中で最も地味で、しかし私達にとって最も力となる取り組みは何か? 色々考えたが、いろいろある。 しかし、上記の二つが当てはまる対象は一つしかない。 それは主の前に静まって、主の言葉を聴き、祈ることである。 つまり、主と私の二人だけになることである。 ...
マタイ6章6節
2010年10月10日
■ その日は来る! / 第二ペテロ3:8~15 (2010-10-03)
私は9月3日から12日まで、アメリカ東部は海岸沿いの町々で恵みのときを主からいただいた。 そこにはアメリカ兵士と結婚した日本人女性が多数住んでおられる。 クリスチャンになる人は決して少なく無い。 そして彼女達は少数派ではあるが、助け合い、支えあって信仰の灯火を保ってい...
第二ペテロ3:8~15
2010年10月3日
■ 向こう岸へ渡ろう / マルコ4章35~41 (2010-09-19)
9月3日から14日までの12日間、ノース・カロライナとバージニアの教会幾つかを訪問できた。(おかげでMessage欄に掲載は出来なかったが、書き留められない程の、恵みの土砂降りであったことを想像していただきたい。) 正味9日間の宣教と交流の旅であったが、大変有意義で恵みと...
マルコ4章35~41
2010年9月19日




