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■ 試練はテスト / 創世記22章1~2 (2011-06-26)
聖書が「試練」と語るとき、それは多くの場合「テスト」を意味する。 通常テストとは、技能、学識、資質、経験等が充分に備わっているかを計ることである。 だが、聖書におけるテストとは、信仰のテストである。 それは神が人に対して与えたもので、苦しみや困難を通して尚も神への信頼...
創世記22章1~2
2011年6月26日
■ 初めに神が / 創世記1:1~4 (2011-06-19)
「初めに神が天と地を造られた。」 この、お方こそがキリスト者の神である。 だが、日本人がイメージする漢字の「神」ではない。 聖書の神は「ヤハッ」「ヤハウェ」と呼ばれたが、ユダヤ人は決してその御名を口にしなかった。 それほど主を恐れ、深い畏敬の心情を示したのである。 ...
創世記1:1~4
2011年6月19日
■ 私に有るもの / 使徒の働き3:1~19 (2011-06-12)
五旬節、過ぎ越しの祭りから50(ギリシャ語でペンテコステ)日後、であった。 その日は、イエスが復活なさってから丁度50日目であった。 キリストの再臨を待ち望む人々が大勢で屋上に上り祈っていた。 すると間もなく、火の様に見える舌の形をしたものが、弟子たち一人一人の上に降...
使徒の働き3:1~19
2011年6月12日
■ 神を人生の主語とせよ / 創世記21:14~21 (2011-06-05)
「私はキリストを信じております。」この文体の主語は「私」である。 「主が私を愛して下さいました。」ここでの主語は「主」である。 つまり文章だけでなく、人生というもので、誰が主語になるかでガラッと変ってしまうのである。...
創世記21:14~21
2011年6月5日
■ 奇跡の子は当然の如くに生まれた / 創世記21:1~13 (2011-05-29)
≪主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。 サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。≫創世記21:1~2 サラが身籠り、そして男の子を生んだ! ...
創世記21:1~13
2011年5月29日
■ 後ろ髪引かれるを断ち切って / 創世記19:15~29 (2011-05-22)
陸地における世界で最も低い場所、それが死海の湖面である。 海抜マイナス397メートル、地中海の暑い気候に加えてこの低さは何をもたらすか? そこに文字通り逆盆地である。 渇いて暑き地方、熱は更に低地に留まり、まるで中華鍋の底状態である。 ...
創世記19:15~29
2011年5月22日
■ 人生は選択の積み重ね / 創世記19:1~14 (2011-05-15)
甥のロト、その人生は何であったろうか。 暑い太陽が沈もうとしていたある日、二人の訪問者の来訪と共に、一瞬の内にすべてを失う結末が訪れようとしていたとは。 おぞましいとしか表現出来ない有様が、当然の如く繰り広げられていた町。 そんな町がソドムとゴモラであった。 ...
創世記19:1~14
2011年5月15日
■ 執り成し / 創世記18:16~23 (2011-05-08)
「執り成し」クリスチャンになって、この言葉の意味が身近になった。 本来は相手に対し、若しくは二者間を取り持つ、取り計らうことである。 執り成しとは誰かのためだけでなく、自分のためにもある、と思う。 これは面白いことである。神さまの前に、自分の赦しを願い出ることが出来る...
創世記18:16~23
2011年5月8日
■ 信仰の勇者たち / ヨハネの福音書21:9~23 (2011-05-01)
イエスがよみがえられて後、数度弟子たちの前に現れた。 ある朝、弟子の幾人かがガリラヤ湖で漁をしていた場面があるが、実に愉快である。 岸辺から弟子に向かって叫ばれたイエスに弟子達は驚いた。 そのとき、大漁の網を引き上げていた舟上のペテロに向かって、ヨハネが小声で言った。...
ヨハネの福音書21:9~23
2011年5月1日
■ 死がいのちに呑まれた朝 / ルカ 24:1~11 (2011-04-24)
命あるものにとって、死はすべての終わりの終わりであった。 人がたとい世界を掌握し、我がものとしたにせよ、死は彼に終わりを告げさせる。 仮に幾ら身体を鍛えたにせよ、死には勝てない。 金持ちも権力者も死は最強の敵であり、絶対に勝てない敵であった。 ...
ルカ24:1~11
2011年4月24日
■ それでもあなたは救い主なのか / ルカ23:32~48 (2011-04-17)
今年、3月11日午後2時46分、あの大きな地震、そして初めて目にした大津波。 生涯忘れ得ないものだった。これは大変なことになったという思いは当然であったが、具体的に心で整理がつかなかった。 テレビの大画面で見ていた。凄まじい津波が呑み込んで行く。 ...
ルカ23:32~48
2011年4月17日
■ 私にある信仰は、この方のおかげです。 / ルカ22:20~34 (2011-04-10)
イエスは過ぎ越しの祭りに入る日、弟子達と最後の夕食を共にされた。 (その夜の晩餐の模様を教会は二千年来、伝えて来た。) 12人の弟子たちを周囲に置き、イエスは一人一人にパンを渡し、そしてぶどう酒を分けられた。 パンはイエスの裂かれるみ体を象徴し、ぶどう酒は流される血潮...
ルカ22:20~34
2011年4月10日
■ 礼拝の心は先週の月曜から土曜で造られる / 創世記18:1~15 (2011-04-03)
暑い日の昼下がり、50メートルほど先に立ち止まる三人の男がアブラハムを見つめていた。 眠ってはいなかったが、アブラハムは余りの暑さにボンヤリしていた。 弾けたバネ如く、アブラハムは立ち上がると走りよって地面に跪いてお辞儀をした。 ...
創世記18:1~15
2011年4月3日
■ 私の主、私の神 / 創世記17:1~8 (2011-03-27)
「私の主、私の神」と言う人がどれだけおられるだろうか? 「私達の主」という表現さえ、あまり聞かない。 神さまと言っても、「私の神」とまでは言わない。 アブラハムに現れた神は仰せられた。 「わたしは全能の神(エルシャダイ)である。 ...
創世記17:1~8
2011年3月27日
■ 向こう岸へ渡るまでが肝心 / ルカの福音書4:35~41 (2011-03-20)
毎日掲載される津波の被災地、そして避難所で暮らす人々の大写真が新聞に載り、本当に胸が詰まる。 しかし、大自然の営みに文句をつけても意味がない。 つまり悲しみと怒りのやりどころがない。 まさに一瞬にして家族と家と財産を失った。 消えた、のである。 ...
ルカの福音書4:35~41
2011年3月20日
■ 太陽と月が消えた日 / 使徒の働き27:11~27 (2011-03-13)
まさに未曾有の出来事であった。 天変地異そのものに思えた。 テレビを通してみる風景は、この世のものではなく、コンピューターグラフィックの画像であって欲しいと願った。 美しい日本の港町、漁港を襲った大波のうねりはいかなる物をも、ものともせず呑み込み、押し流し、さながら大...
使徒の働き27:11
2011年3月13日
■ 放蕩息子、そしてその兄 / ルカの福音書15:10~32 (2011-03-06)
今年二月末、ホームページに掲載しているメッセージが丸7年になった。 2003年の三月の初めから書き始めた。 たまにであるが、読んでくれている人がいることを知ると実に励まされる。 たかが7年、されど7年。 先ず欠かさないことを念頭に置いたのであるが、私という器がもう少し...
ルカの福音書15:10~32
2011年3月6日
■ 虚しいことを知ることさえ、また益である / 伝道者の書6:1~12 (2011-02-27)
「空の空、すべては空」この言葉は旧約聖書の「伝道者の書」、その冒頭に登場する。 この世は虚しい。 それが伝道者(コヘレト)が見て考え、そして悩んで出した、この世に対する感想であり、実感であった。 真面目で正しい者が悩み苦しむ。 悪者が栄え、世を謳歌する。 ...
伝道者の書6:1~12
2011年2月27日
■ 人の性(さが)と神の愛 / 創世記16:1~16 (2011-02-20)
どれほど偉い人であっても、つまり人格者、地位と教養のある人でも、人間である限り「性」(さが)を備え持っている。 これは生まれつきであるので、致し方ない。 良い向きもあれば、そうでない向きもある。 本人にとっては辛い場合が多い。 ...
創世記16:1~16
2011年2月20日
■ 約束の実が見えない日々 / 創世記15章1~7 (2011-02-13)
世の中、約束ごとには様々ある。 金銭の貸し借り、仕事の受発注、簡単な口約束、そして結婚、考えてみるとすべて「信用」に起因する。 信用しきれないから担保物件を求められる。 住宅ローンなど、金融機関は消費者をまったく信用していないのであり、まあそれが銀行の身の保全であるか...
創世記15章1~7
2011年2月13日




