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■ 主は敗者の傍らに立つ / ヨハネ21:9~22 (2012-04-15)
イースターから幾日か過ぎたガリラヤ湖畔。 舟で漁に出ていた弟子達が岸辺に向かって振り向いた。 朝日に照らされたイエスがそこに立っておられた。 その朝、イエスに明確な目的があった。 それはペテロに対する主の慈しみ深い思いからだった。...
ヨハネ21:9~22
2012年4月15日
■ 仮に心が燃えていても・・・ / ルカ24:13~32 (2012-04-08)
イエスがよみがえられた知らせは、女性たちや弟子達も信じられないことであった。 絶対に起こり得ないことが起こった。 だから誰一人、それを肯定的に受け入れられる者はなかった。 (受け入れられるのではなく、前向きに受け入れるべき時だってある。) 死者のよみがえり・・・ ...
ルカ24:13~32
2012年4月8日
■ あのとき、あなたはどこに居ましたか? / マルコ15章16~39 (2012-04-01)
私達すべては時間の世界に生きている。 時は刻一刻と過ぎて行く。今、という瞬間も過ぎ去ってゆく。 時間は命を育てつつ、やがて必ず衰えさせる力を持つ。 人も動物も成長し、おとなになるが衰えて行く。 自然界も同様である。 人が造った物も同様である。 ...
マルコ15章16~39
2012年4月1日
■ 人が神を裁いた日 / マタイ26:57~68 (2012-03-25)
サンヘドリンという当時のユダヤ人による70人議会が裁いていたのは、生ける神の御子、 イエス・キリストであった。 彼らはイエスを死刑にするために、どんなこともした。 偽証する人を立てたが、死刑にすべく確たる証拠など出てこなかった。 状況証拠も無い。確証も得られない。 ...
マタイ26:57~68
2012年3月25日
■ から壷に火を入れて / 士師記7:13~22 (2012-03-18)
敵は13万5千人、味方はたったの300人。1対450.・・・果たして何が出来るのか。 何も出来る筈がない。だからこそ、頼るは神のみである。 こういう場面、人生ではそうそうと無い。 無いからこそ、実に貴重な瞬間である。 ...
士師記7:13~22
2012年3月18日
■ 不条理の谷で見る灯り / 詩篇22:1~8 (2012-03-11)
思えばこの世は不条理だらけである。 世界の平和、人々への平等等々、願った通りに行かないことが多すぎる。 ひたすら耐えなければならないときがあり、助けが見えないときがある。 絶望の二文字さえも感じられない厳しい局面がある。 ...
詩篇22:1~8
2012年3月11日
■ 勇気 / 士師記7:8~15 (2012-03-04)
クリスチャンになる前、「勇気」という言葉から直感したのは「度胸」でった。 そう、男は度胸、女は愛嬌の時代だった。 しかし、勇気と言うからには単に度胸に留まらない。 それは正しいと信じた道を真っ直ぐに進むこと、ではないだろうか。...
士師記7:8~15
2012年3月4日
■ 1%を見られる神 / 士師記7:1~7 (2012-02-26)
物事の摂理を考えてみた。 例えば、物が多いと裕福に思えるし便利である。 一方、物が多すぎて片付けられない現在人も少なく無い。 既に片付け方が分からない人は非常に多い。 昭和20年から30年半ば、本当に物がなかった。 今との環境を見比べると、無いものだらけだった。 ...
士師記7:1~7
2012年2月26日
■ 主の霊があなたを覆う / 士師記6:30~40 (2012-02-19)
確かに!私達が神さまに対してガッカリしたことが無いのでは無い。 自分の期待通りに行かないことだって山ほどある。 と言いつつ私達がどれ程神さまの期待を裏切って来たかというと、これが半端じゃないのだ。 なのに、神さまに向かって文句の幾つかも祈りたいときがあるとは、トホホの...
士師記6:30~40
2012年2月19日
■ 限界の先にあるもの / 士師記6:14~32 (2012-02-12)
人間は各も不安、心配から逃れられない生き物である。 それが偶像というものを造りだしたと考える人は少なく無い筈である。 だが、なぜ人の心に不安心理が存在するかを知っている人は少ない。 心理学に頼る積りなど、毛頭ない。 聖書だけが、それを教えてくれている。 ...
士師記6:14~32
2012年2月12日
■ 勇士よ / 士師記6:1~16 (2012-02-05)
最近読んだ新聞から・・・ 「隠岐の島」をレポートした記事は、かの地で特に伝統的なもので牛と牛を戦わせる「牛つき」に関する話に感動した。 それは負けた牛が涙を流すということだった。 まさか・・・と誰もが疑うであろう。 しかし、それは事実だった。 ...
士師記6:1~16
2012年2月5日
■ 私は主に仕えます / ローマ人への手紙15:13~17 (2012-01-29)
パウロが書いた手紙の中で、テサロニケびとへの手紙を除いたすべての手紙の冒頭は一致している。 「私はキリストによって呼ばれ、私はキリストに仕えるしもべである」と書いてある。 明確に見て取れるのは、パウロが誰に呼ばれ、誰によって今があり、誰が彼を動かし、誰に仕え、誰に向かっ...
ローマ人への手紙15:13~17
2012年1月29日
■ 解放 / ローマ人への手紙7:15~25 (2012-01-22)
去年12月の或る日、新聞に90代女性の人生相談記事が掲載されていた。 終戦前、彼女の夫は南方に出張、そこで一人の女性と出会い、愛人関係に入った。 それを告げられてからも夫人は耐え、本土爆撃にも耐え、子供を育て上げた。 ...
ローマ人への手紙7:15~25
2012年1月22日
■ 2012・主はわがいのち / 申命記30:9~20 (2012-01-01)
今年は一月一日が日曜、つまり主の日と重なったので、元旦礼拝であった。 幾年かに一度だけ、こういうときが訪れるが、やはり意味あるものである。 一年で最初の礼拝に向かうとき、毎年心に迫り来る聖書箇所がある。 それは申命記、モーセがはるかに約束の地を見ながら、当人の思いとは...
申命記30:9~20
2012年1月1日
■ クリスマス・神の必然 / ルカ2:11~20 (2011-12-25)
「必然」という言葉は、必ずそうなる、という意味であり、対するは「偶然」である。 偶然とは、何の因果関係もなく、予期しない出来事が起こるさまを言う。 さて、あなたがこの世に生まれたて来たことは必然か、偶然か・・・・ もし創造主を知らない人は大概の場合、「偶然である」と言う...
ルカ2:11~20
2011年12月25日
■ その日は来る! / イザヤ書9:1~7 (2011-12-18)
「メシヤは来る!」 神さまは預言者を通して、そう語られた。 イスラエルはどれほど待ったであろうか、と思う。 しかし、彼らのメシヤ観、そのイメージするところは、やはりダビデ王に劣るとも勝らぬ方であり、イスラエルを再建される王であり、国を自主独立国となし、何よりも他国の支...
イザヤ書9:1~7
2011年12月18日
■ 適用(application) / イザヤ書11:1~10 (2011-12-11)
神さまは永遠であり無限。人間は生きてもせいぜい80年前後という時間の有限世界。 神は天つ国。人間は天の下、この世。 そして神さまはその一人子を天の下に送りなさった。 つまり、栄光の主は聖なる都から罪渦巻く人間世界へ、世びとの救いのためにご自身を適用された。 ...
イザヤ書11:1~10
2011年12月11日
■ I trust only GOD / イザヤ書8:11~22 (2011-12-04)
1947年、死海北西の要塞都市、クムランの洞穴で少年が暗闇の奥に向かって投げた石が不自然な音を響かせた。 コーンという音に少年は続けて石を投げたが、やはり反響音を伴っていた。 確かめると大きな蓋のついた壷が幾つもあった。 ...
イザヤ書8:11~22
2011年12月4日
■ やがて時至れば・・・ / ルカの福音書1:5~20 (2011-11-27)
神さまは人類に二つのジグソー・パズルを下さった。 旧約聖書では預言者を通じて、パズルの空間にピースが一つずつはめられて行った。 年が経つにつれ、パズルが形を成して行くに従い、神を信じる幾人かの人たちはその計画自体を悟った。 それがメシヤ、つまり救い主の到来である。...
ルカの福音書1:5~20
2011年11月27日
■ この正比例は真理である / ルカ7:36~50 (2011-11-20)
1978年3月12日、キリストに出会った。 人生において、初めての不思議な体験の中に、不思議と平安な思いに浸ることが出来た。 その意味は自分の過去の罪がすべて赦されたことに拠るものであった。 そして一つの罪を認めたとき、まるで泥縄を手繰り寄せる様に、ズルズルを罪の汚物...
ルカ7:36~50
2011年11月20日




