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■ 人生すべて神の御手の中 / 使徒の働き16:25~34 (2013-02-03)
クリスチャンであろうとなかろうと、すべての人の人生は神のみ手の中!にある。 つくづくそう思う。 唯一誠の神、イエス・キリストの父なる神さまを知った人、信じた人はその言葉の意味を知ることになるが、誠の神を知らない人は知らないままこの世を去ってゆく。 ...
使徒の働き16:25~34
2013年2月3日
■ 今日は恵みの日、今日は救いの日 / 第二テモテ4:1~5 (2013-01-27)
クリスチャン生活においても、実生活においても共通して有効利用出来る考え方がある。 特に取り上げる程でもないが「諦めてもいい・・でも諦めない。」という言葉である。 仕事でも信仰生活でも、肩にエモン掛けをいれてしまいがちな場面は少なく無い。 ...
第二テモテ4:1~5
2013年1月27日
■ 恵みの滴 / 第二テモテ3:13~17 (2013-01-20)
『聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。』 第二テモテ3章15~16節 聖書と教会という世界から世に飛び出した言葉はたくさんある。 ...
第二テモテ3:13~17
2013年1月20日
■ この神と預言者の言葉に、あなたは何と応答しますか? / イザヤ書55:6~11 (2013-01-13)
イザヤ書、私のお気に入りは特に第二イザヤと呼ばれる40章から55章の部分である。 翻訳されたものであっても、その前後の章と比較すると文体の流れも主張も異なるのがよく分かる。 比較せずとも、あきらかで急な変化は単に本人の気持ちの変化だけではない、なにかを汲み取れる。 ...
イザヤ書55:6~11
2013年1月13日
■ ひたすら歩む道 / 申命記31:1~13 (2013-01-06)
年の初め、最初の礼拝に想うこと、そして必ず胸をよぎるのは申命記の最終章である。 ヨルダン川の向こうに横たわるは、夢にまで見た約束の地カナンである。 荒野をさ迷うこと40年、イスラエル民族100万は苦難の果てにようやく今、ここに辿りついた。 ...
申命記31:1~13
2013年1月6日
■ メシヤ御降誕!事後 / マタイ2:1~23 (2012-12-30)
カレンダーにおける2012年のクリスマスは過ぎて行った。 しかし、クリスチャンとしては「ここからが新たな始まり」だと思う。 お生まれになった主イエスと今後再び、どう向かい合って生きて行くかが問われるべきである。 私達のためにお生まれになった方、というよりも「私のために...
マタイ2:1~23
2012年12月30日
■ かくして御子生まれ給う / マタイ1:16~25 (2012-12-23)
マタイ1章16節 「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。 キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。」 上記はイエス・キリストの系図である。 文字通りイエスはヨセフの系図にあるが、イエスがお生まれになったのは、ヨセフによったものではなく、母マリヤであ...
マタイ1:16~25
2012年12月23日
■ 33年目の結実 / 使徒の働き3:1~19 (2012-12-16)
「神のことば」が人となったのがクリスマスという原点である。 その時から人類社会に深く長く、広がった分野の裾は実に測り知れず、である。 音楽、絵画、彫刻、文学、思想、歴史、そして人々の人生に・・・・ 二千年前、この世に一つの実が落ちた。 ...
使徒の働き3:1~19
2012年12月16日
■ この内なる思いを知るは私のみ? / マタイ11:2~11 (2012-12-09)
バプテスマのヨハネ、新約時代のエリヤと称される人だった。 幼い時から一切俗世間で暮らすことなく、荒野に身を引き、イナゴを食べ、野蜜を食べ、ナジル人として生きた。 女性、金銀、権力というリーダーの大敵には全く興味も縁もなく、ひたすらメシヤの通られる道備えをした人だった。 ...
マタイ11:2~11
2012年12月9日
■ 聖霊不在の時代、そして今も相克の時代なのか / 創世記31:29~55 (2012-12-02)
旧約聖書時代、そして現代の世界と日本、一般社会の共通点は何か? それは聖霊不在の世の中、であるということ。 しかし神選ばれし民、イスラエルには少なくとも少数ながらも創造主を信じて生きる人々はいたのである。 それでも当時の人間社会は現代日本と同様?に欲と権力が堂々と横行...
創世記31:29~55
2012年12月2日
■ 蒔いた種は必ずいつか芽を出す / 創世記31:1~29 (2012-11-25)
種は種でも神さまが蒔く種と、人間が蒔く種はこうも違うのか、と考えた。 キリストが蒔かれる種は、やがて人に救いをもたらす。 人の心の中に蒔かれて育ち、やがて芽を出し花を咲かせ、実をならす。 一人の救いは家族の救いへと広がる。 人間が蒔く種に良いものはない。 ...
創世記31:1~29
2012年11月25日
■ 旅立ち / 創世記28:1~22 (2012-11-18)
日本でも凡そ終戦前まで、人間世界は狭かった様に思う。 つまり居住している地域が変わると、他の地域に住む人間性にどことなく違和感を感るのが人の常であった。 そこで、何かと頼りたく枝道は広がるも、どこかで繋がっているころ安心し、頼りにし易かったのだと思う。 ...
創世記28:1~22
2012年11月18日
■ 窮極たるは血 / 創世記27:22~41 (2012-11-11)
旧約聖書時代、実に世界は広かった。 それだけ人間社会は民族が孤立して生きていたということである。 部族の違いは、まるで外国人並みだった。 アブラハム達、中東の片隅で生きていた人々にとって、先住民はまるで異邦人だった。 ...
創世記27:22~41
2012年11月11日
■ 煮豆か神か・・・ / 創世記25:20~34 (2012-11-04)
時として「死ぬほど腹がへる」のを覚えたことは、誰にもあるだろう。 ふらついて倒れるほどに。 エサウはそういう思いだった。 ふと見ると弟のヤコブが料理をしていた。 良い香りがする。たまらずヤコブのそばに行った。 「おい、それを一皿くれないか。腹がすいて死にそうなんだ...
創世記25:20~34
2012年11月4日
■ アメイジング・グレイス / 創世記26:6~13 (2012-10-28)
創世記、実に素敵な書物である。 それはまるで「神話」の様である。 しかし、日本の神話とはまるで異なる。 日本の神話から学ぶものなど全く無い。それは魑魅魍魎の世界であった。 創世記には説教じみた部分が無い。 だから大好きであるが、そういう私はそこから「説教」を書いてい...
創世記26:6~13
2012年10月28日
■ あなたのPOSITIONはどこ? / 創世記19:12~30 (2012-10-21)
キリスト者にとって最も大切なことは、自分のPOSITIONを知っていることである。 POSITIONとは位置、場所である。 つまりキリストに合い向かう自分の場所、自分の位置はどこか、である。 これが分かると何事につけても、素晴らしいことであり、価値ある人生をもたらす。...
創世記19:12~30
2012年10月21日
■ よくなりたいのか? / ヨハネ5:1~25 (2012-10-14)
ベテスダの池、ときたま動く水面に(間欠泉か?)人々の熱い視線が注がれていた。 水面が動いた瞬間、一番先に水に飛び込んだ人は癒されると信じられていた。 色々な病をもった人々が列を作って並んでいたが、そこに38年間もの間、床に伏せった足のなえた男性に疲れた表情が見てとれた。...
ヨハネ5:1~25
2012年10月14日
■ シンプルに、よりシンプルに / 第二列王記5:1~14 (2012-10-07)
クリスチャンとして信仰生活に取り組むとき、最も邪魔な存在は何かと気がついた。 それは自分のプライドであり、今日までのキャリヤと自信であることを知ったとき、神さまが働いてくださる目的を見た、と思った。 そのとき、自分ではそれが容易いこととは到底思わなかった。 ...
第二列王記5:1~14
2012年10月7日
■ 彼をどこに置いたのか / ヨハネ11:18~44 (2012-09-30)
イエスには心おきなく交流の出来る一つの家族がいた。 それがべタニヤ村に住む三人の兄弟姉妹であった。 ラザロ、長女のマルタ、次女のマリヤ、この三人もイエスが訪問されることをいつも心待ちにしていた。 あるときラザロが病に冒され、数日伏せっただけで急逝した。 ...
ヨハネ11:18~44
2012年9月30日
■ 霊と誠を尽くす礼拝 / 詩篇66:13~20 (2012-09-23)
聖書が求める礼拝とは・・・霊と誠をもって捧げる礼拝である。 礼拝する側が「気持ち良くなる」ことを求めるものとは、意味が大分違う。 礼拝には幾つかの姿がある。 教会などの群として行う礼拝。 家族で行う礼拝。 自分と主、1対1で行う礼拝。 ...
詩篇66:13~20
2012年9月23日




