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■ はじまり / 創世記3章1~15 (2013-12-01)
創世記2章、神さまが自然界を造られ、そして人を造られた経緯が描いてある。 初めにアダムが造られ、続いてエバが造られた。 男の為に造られたかの様な流れであるが、聖書ははっきりと言う。 「彼のために彼の助け手を造ろう。」 ...
創世記3章1~15
2013年12月1日
■ 聖絶 / ヨシュア記7:1~13 (2013-11-24)
ヨルダン川を渡り、約束の地に足を踏み入れたイスラエルは主の約束と導きの下、文字通り連戦連勝の日々であった。 それは彼らが主を信じ、戦いと結果を主に委ねたからである。 「恐れてはならない、雄雄しくあれ」との、主からのみ声を聞いたヨシュア達は神への従順により戦ったのである。...
ヨシュア記7:1~13
2013年11月24日
■ あなたの神は小さ過ぎませんか / ヨシュア記6:1~20 (2013-11-17)
人間の脳という場所は実不思議で凄い力と機能を持っている。 しかし通常、人間はその脳の能力100%に比して僅か十数%しか働かせていないと以前何かの資料で読んだことがある。 勿体無いと思いつつも、私など3%程度であろうかと思う。 実に浅い限界である。...
ヨシュア記6:1~20
2013年11月17日
■ 死ぬまで発展途上がいい / 第一コリント8:1~13 (2013-11-10)
聖書の言葉から、ふと思ったこと。 現代、肉料理に関してはありとあらゆるほど色々あるが、やはり焼肉はあきない 食いたくなったら、その夜は完全に焼肉店に行っていると、思っても最近は左程行ってない。 行けないではなく、行かないのだが、原因は年齢から来る消化不良だと思う。 ...
第一コリント8:1~13
2013年11月10日
■ この世で最も聖なる食卓 / 第一コリント11:17~34 (2013-11-03)
この世で最も聖なる食卓は「イエスと弟子達の最後の晩餐」であった。 「聖なる」という表現は、そこにイエスが陪席されたからであって、弟子達云々ではない。 現代でもイエス以外、聖なる存在などいない。 晩餐のテーブルは聖なる方と罪人が対峙している場所である。...
第一コリント11:17~34
2013年11月3日
■ あなたが知るために / 申命記29:1~6 (2013-10-27)
旧約聖書の申命記の通読はこれまでで3度目、いや4度目かも知れないし、それ以外でも目にして来たが、これほど心に迫る恵みは初めてである。 キリスト者は聖書を通して読むことは大切だが、通読という目的以外に大切なことがある。 それは静聴である。 ...
申命記29:1~6
2013年10月27日
■ 神の国は今どこに / ルカ17:20~21 (2013-10-20)
世のキリスト教会は人々に対して様々な印象を与えている。 「これが教会」「これでも教会」という印象は否定的なことへの表現であろう。 「でも教会」「だから教会」はかなり前向きだ。 しかし、単に教会と言って、ひと括りにすべきではないかも知れない。 ...
ルカ17:20~21
2013年10月20日
■ チャレンジはいつだって一人ぽっち / 第二列王記17:1~16 (2013-10-13)
クリスチャンになってつくづく思い知ったこと。 それは、いつも信仰の仲間がいることだ。 家族の中でクリスチャンがいれば、いつだって気軽に聖書を分かち合えるし、考え方を共有できるし、一緒に祈ることが出来る。 教会に行けば沢山の同信の仲間がいて、本当に励まされるし慰めもある。...
■ チャレンジはいつだって一人ぽっち / 第二列王記17:1~16
2013年10月13日
■ 彼は神を信じた / ローマ4:18~5:1 (2013-10-06)
毎週メッセイジ前に、或る本から短い文章を会衆に聞いてもらっている。 「田舎牧師」を自称する宮島信也先生の書かれた日記風の物である。 表現はどうかと思うが、同業者?であるから痛みとか楽しみとか、腹立たしさとか、様々な思いと感情を共有出来ている。 ...
ローマ4:18~5:1
2013年10月6日
■ 「なぜ、そんなことをするのか」 / マタイ21:1~11 (2013-09-29)
イエスが弟子達に言われた。 『向こうの村に入ると、ロバがつながれている。 一緒にロバの子がいるから、それを連れて来なさい。誰かが「なぜ、そんなことするのか?」 と言ったら、「主がお入用なのです。」と言いなさい。』 弟子達はそれが一体、何を意味するのか分からなかった。 ...
マタイ21:1~11
2013年9月29日
■ 失格者(ヒーロー)の神 / 第二サムエル記3:1~5 (2013-09-22)
旧約聖書時代、そして現代のユダヤ人、イスラエルびと、そして時代を超えて限りなく大勢のクリスチャンたちにとってダビデという人は偉大なるヒーローである。 彼の右に出る英雄はいない。 詩篇の殆どがダビデを想って書かれ、歌われた。 ...
第二サムエル記3:1~5
2013年9月22日
■ チャレンジ / マタイ10:1~20 (2013-09-15)
チャレンジとは挑戦である。 人生と自分に対して受ける、若しくは逃げないで敢えて向かい合うことを言う。 一般的にスポーツとか仕事、また健康維持とかリハビリ等におけるチャレンジなら大概の人々は前向きに取り組むであろう。 ...
マタイ10:1~20
2013年9月15日
■ 融通を効かせる生き方 / 第一コリント7:1~16 (2013-09-08)
第一コリントの7章、その書き出しに対して多くの人々が困惑すると思う。 『さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。 しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。 ...
第一コリント7:1~16
2013年9月8日
■ IDOL WORSHIP アイドル・ワーシップ(偶像崇拝) / 第一コリント10:1~23 (2013-09-01)
時代はアイドル流行(はやり)時代である。 いや、大昔から人間はアイドルを求めて来た。 多くのタレント、映画人、スポーツ界、人々の心を掴むアイドルは次から次へと登場し、そしてやがは消えて行く。 そう、アイドルは消えて行くものでもあるが、キリストはアイドルではない。...
第一コリント10:1~23
2013年9月1日
■ 凛として、しなやかに生きるがいい / 第一コリント6:9~20 (2013-08-18)
新聞のスポーツ欄に「目からうろこ」の話があった。 誰もが子供の頃から知っていたお話。「ウサギと亀」の競争である。 なぜ、ウサギは亀に負けたのか・・・いとも簡単な例話であった、と思っていたらビックリ仰天、晴天の霹靂そのものの展開があった。 ...
第一コリント6:9~20
2013年8月18日
■ 飛び越えられぬ谷さえ渡る / 第一コリント5:9~6:8 (2013-08-11)
私が神学校に通っている頃、巡り合った一冊の本。 かなりユニークな先生であると思うが、楽しくもあり、癒される書である。 「田舎牧師の日記」(宮島信也著)。 以来、25年近く手元にあり、たまに読んでいる。 ボロボロになってしまったので、ネットショップで探していたら、一冊...
第一コリント5:9~6:8
2013年8月11日
■ 自律と他律 / 第一コリント5:6~8 (2013-08-04)
「自律」という言葉、深くは知らないが、ドイツの哲学者カントの倫理学での中心概念であるらしい。 意味は他者の命令に依存せず自分で自分の行為を規制すること。 その反対に位置するのが「他律」であって、こちらは他からの命令や束縛によって規制するとのことである。 ...
第一コリント5:6~8
2013年8月4日
■ 宙ぶらりん / 第一コリント5:1~5 (2013-07-28)
私自身、旧約聖書に語られ、そして救いに導かれた。 そのためか旧約聖書大好き人間である。 登場する人物それぞれに親近感を覚え、彼らの考えるところ、生きるところ、その人間性が実に身近である。 生々しく登場しては、聖書を読む私に語り掛けてくる。 ...
第一コリント5:1~5
2013年7月28日
■ あなたの人生を画にしたら / 第一コリント4:6~21 (2013-07-21)
「坪庭」小さな空間に過ぎない場所を味わいあるものに仕立てている。 何の変哲も無い70センチ程度の高さの石が座っており、傍らに数本の年齢を経た木が植わっている。 土は苔蒸しており、長い時間が過ぎたことを物語っている。 さあ、この景色から何を感じるか? ...
第一コリント4:6~21
2013年7月21日
■ キリスト者の経つところ / 第一コリント3:21~4:5 (2013-07-14)
昔、クリスチャンになり、やがて教師になり、そして牧師になって何年も過ぎたのに、いつも思わされることがある。 それは「自分で信仰生活をやっているのではない。」ということである。 頭で分かっていても、心の奥底に溜まっているものが、「俺だって頑張って奉仕して来たんだ。俺だって...
第一コリント3:21~4:5
2013年7月14日




