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■ 主、私と共におわしますれば / 創世記39:1~23 (2014-09-14)
人間はどこまで如何なる不条理にも耐えられるのだろう。 この点では私など本当に実にか弱い者だと思う。 聖書の箴言にこうある。 「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心に誰が耐えられるだろうか」18:14 人間にとって最も辛いことが不条理そのものではないだろうか。...
創世記39:1~23
2014年9月14日
■ 遣えば増えるもの / マタイ25:14~30 (2014-09-07)
天の御国は人間に対してどの様な問い掛けと対応をしているのか? マタイの福音書で主は語られた。 天の御国はまるで、しもべ達に財産を託し委ねて旅に出てゆく主人の様なものである。 しもべの能力(才能=タレント)に応じて主人は財産を分けた。 ...
マタイ25:14~30
2014年9月7日
■ 真理は私の内なる方 / 使徒行伝11:17~26 (2014-08-31)
私達はクリスチャンになったとは言え、やはり「この世の道理」が身に染み付いている。 この世の道理、例えば1プラス1は2でしかない。 決して3にも10にもならない。 ある意味、あらゆる状況において、人はこの世の道理と物理の中に生きていると言える。 ...
使徒行伝11:17~26
2014年8月31日
■ 敢えてその狭き道を歩め / ヨハネ10:31~42 (2014-08-24)
イエスは言われた。 「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれである。」(マタイ7:14) ここで言われるいのちとは、生まれ持っている命ではなく、永遠の命である。 永遠は天地において神の国しかない。 そこに至る命こそ、永遠のいのちである。 ...
ヨハネ10:31~42
2014年8月24日
■ 洗われなければ何も始まらない/ 第二列王記5:1~15 (2014-08-17)
現在のシリヤが抱える内紛問題と、隣国イスラエルの関係は断絶状態であるが、遠い昔は案外そうでもなかった。 争いは時としてあったが、互いの交流とか人々の行き来はあった。 アラム人の将軍ナアマンは王からの信望も厚く、部下や国民からは非常に尊ばれていた。 ...
第二列王記5:1~15
2014年8月17日
■ マルコもテモテも主が選ばれた / 使徒の働き15:30~16:3 (2014-08-10)
今週の礼拝は、教会の青年達がプロデュースしてくれた。 様々紆余曲折もあったとは思うが、賛美も司会も新鮮味豊かで主と彼らに感謝した。 自分の若い日、無鉄砲と大胆と決断が懐かしく思い出される。 否定的な面として他者の迷惑など殆ど顧みない自己中的なことを平気でしていた。 ...
使徒の働き15:30~16:3
2014年8月10日
■ もしあなたが神の子なら / マタイ4:1~11 (2014-08-03)
イエスだけに許されたこと。 それは「イエスは悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」ということ。 人は誰であっても試みに会うため、御霊に導かれることなど無い。 人間は神の霊によって100%支配されることなど出来ないからだ。 ...
マタイ4:1~11
2014年8月3日
■ キリストは常にポジティブである。 / ヨハネ9:1~16 (2014-07-27)
人それぞれに性格の違いがあるが、聖書の視点から見て言えることは、人間は総じてネガティブであるということ。 理解出来ないこと、不条理なこと、悲しみ、絶望、死、離別、ありとあらゆる否定的なことに対して、殆どの人間はネガティブに強いられてしまうのだ。...
ヨハネ9:1~16
2014年7月27日
■ イエスというパン / ヨハネの福音書6:27~52 (2014-07-20)
世人の中のほんの僅かかもしれないが、従事する労働において喜びや生き甲斐を感じている人も多々おられるだろう。 そういった人々は幸せ者と言える。 私達は生きるために働く。 そして働くために食す。 食するとは働くためか。 昔、内村鑑三先生が言われた。 ...
ヨハネの福音書6:27~52
2014年7月20日
■ レプタ二つの信仰 / マルコ12:28~44 (2014-07-13)
聖書を代表する神からの二つのご命令。 1、 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。 2、 あなたの隣りびとを、自分を愛するが如く愛せよ。 この言葉以上に大事な命令は無い。...
マルコ12:28~44
2014年7月13日
■ ベテスダの池 / ヨハネの福音書5:1~16 (2014-07-06)
エルサレムの城壁、「羊の門」に近い場所、「ベテスダの池」という場所があった。 この池の水面はが時として動いた。 間欠泉の作用か、又は地下を水が流れていたからか定かでない。 当時の人々が信じていたこと。 時として天使が降りて来て、水をかき回すのでその瞬間水面が動く。 ...
ヨハネの福音書5:1~16
2014年7月6日
■ 福音に福音たる所以 / ガラテヤ人への手紙1:1~19 (2014-06-22)
福音が福音である理由は、何処にあるのだろうか? それは、「許される理由、無き者が愛されて赦された」ところにある。 その愛こそがアガペーという、この世で出会えない異質の愛である。 福音は宝くじではない。 宝くじの大当たりは誰もが幸せ感いっぱいとなり、飛び上がって喜ぶだろ...
ガラテヤ人への手紙1:1~19
2014年6月22日
■ 霊とまことによる礼拝 / ヨハネ福音書4:16~30 (2014-06-15)
キリスト者に求められる礼拝姿勢を、イエスがサマリヤ人女性に向かって語られた。 「霊とまことを尽くして礼拝せよ。」 この言葉を改めて聞くと、私を初めとして反省せざるを得ない人の方が少なく無いかと思う。 日曜日の礼拝、それはイエスがよみがえられたことを記念する故である。 ...
ヨハネ福音書4:16~30
2014年6月15日
■ 生ける水 / ヨハネの福音書4:1~15 (2014-06-08)
世の中、イエスに出会った人は決して少なく無い。 しかし、本当にイエスに出合った人は少ない。 その意味は、イエスによって変えられた人生は決して多くは無いということである。 サマリヤ地方にあるスカルという村。 その村はずれには、ヤコブが残したと言われる井戸があった。 ...
ヨハネの福音書4:1~15
2014年6月8日
■ キリストから目を逸らすな / ヨハネの福音書3:7~16 (2014-06-01)
人間がこの世で最も欲しがる物、心くすぐられる物の本質は何だろう。 先ず美味しそうなものである。口にする前から思わず生唾ゴックン・・・と鳴る様な。 次に目に麗しいものである。単に美しいとか綺麗とかでなく、欲望が改めて目覚める様なもの。 ...
ヨハネの福音書3:7~16
2014年6月1日
■ ニコデモ / ヨハネの福音書3:1~7 (2014-05-25)
ヨハネ3章に登場する「ニコデモ」という人、単純に言って実に好感が持てる人物である。 当時パリサイ派の中でイエスに対し、前向きに考える人など殆どいなかった。 仮に少数程度いたにせよ、イエスのところに出向いて行く人など先ず皆無だった。 ...
ヨハネの福音書3:1~7
2014年5月25日
■ 水汲む者になりたい / ヨハネの福音書2:1~11 (2014-05-18)
ガリラヤもカナという村で結婚式があり、イエスとその母、イエスの弟子達も招かれていた。 宴もたけなわとなった頃、葡萄酒がなくなった。 マリヤはイエスに言った。「葡萄酒がありません。」 マリヤはありのままを伝えたのであろうが、イエスはこう言われた。 ...
ヨハネの福音書2:1~11
2014年5月18日
■ あなたはわたしに従いなさい / ヨハネ21:15~23 (2014-05-11)
よみがえられたイエス、そして弟子達はガリラヤ湖の畔で朝のひと時を過ごした。 畏れと気恥ずかしさ、イエスを裏切ってしまった思いからか、弟子達の口からイエスに掛ける言葉など一切無かった。 そしてイエスはペテロに向かって言われた。 ...
ヨハネ21:15~23
2014年5月11日
■ 私の人生、私が主語 / マタイ21:1~14 (2014-05-04)
私の人生、私が主語であり、私が主格である。 そしてこれからも同様なのであろうか。 単なる宗教であるなら、それもよかろう。 自分の取り組みに満足し、誇るもよかろう。 だが、キリスト信仰は違う。 彼は永遠に生きておられる方である。 私達は宗教をしてはならない。 ...
マタイ21:1~14
2014年5月4日
■ エマオの村への道すがら / ルカ24:13~32 (2014-04-27)
エマオという村へ向かう二人の男があった。 彼らはイエスの弟子達であった。 その日の朝、イエスの死体に香油を塗りに行った女達から、にわかに信じ難い情報がもたらされた。 イエスの遺体が納められた墓の蓋石は転がしてあり、中は空っぽでイエスの体は見当たらず、途方に暮れていると...
ルカ24:13~32
2014年4月27日




