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創世記20:1~1
2015年6月21日
■ イエスの教会 / マルコ4:35~41
イエスの弟子達は各々、直接的に、個人的にイエスから呼び出されたのである。 誰一人、自ら志願した者はいない、と思う。 そのことは私達クリスチャンとて同様である。 確かに信仰に入ったプロセスと環境、状況にそれぞれ違いはあるだろうが、後から振り返ってみれば、やはりイエスから...
マルコ4:35~41
2015年6月14日
■ イエスが教会 / マルコ1:21~28
あの朝、私は自分から聖書を手にとり、何の気なしに創世記の話、ノアの箱舟のことが目に止まった。 読み出すと中々面白い話である。 「俺はクリスチャンになどならないから」と自らに言い聞かせてたのだが・・ その朝、牧師は新約聖書から何やら話していたが、私は興味など微塵も感じな...
マルコ1:21~28
2015年6月7日
■ 30年に何思う / ローマ12:1~18
今日は教会開始30周年記念の日である。 よくぞ!よくぞ、イエスさまは我らを見捨てられず、あきらめず、忍耐と寛容をもって、この小さな神の家族を守って下さった。 仮にこの世の物差しで計るなら、無責任、無重力、経験と技術不足、過剰債務に陥り、もはや営業停止から倒産に至っていて...
ローマ12:1~18
2015年5月31日
■ 愚かなる言葉託されて / 第一コリント1:17~29
調布南は当年、伝道開始30年を迎えた。 2015年5月31日は記念すべき30周年記念感謝日である。 個人的には牧師生活、満21年を同日に迎える。 凡そ20年前、日本にゴスペル・サークルなどは無かった。 東京横田基地内(外の人ならキチガイの人と呼ぶらしい。)の米人教...
第一コリント1:17~29
2015年5月24日
■ 期待されて30年 / 第一コリント3:1~11
当教会はこの春、創業というか開業といおうか、30周年を向かえることが出来た。 業は業でも天の父に期待されて始まった大事業である。 これはトヨタ自動車よりもソフトバンクよりも偉大で尊い事業である。 第一、 金儲けではない。人の魂を救う御奉仕である。 ...
chofuminami
2015年5月17日
■ 母の願いは断たれたけれど / ルツ記1:1~18
母の日に思うこと、やはりキリスト者としての母の生き方である。 裕福で平穏な人生に生きた母も数多くおられるであろうし、極貧と病いの中で信仰を守り通した母も少なくない。 サミュエル・ブラウン師は19世紀の日本において多大な功績を残されたし、日本への愛は日本人以上のものであっ...
ルツ記1:1~18
2015年5月10日
■ 主は葡萄の木、私はその枝 / ヨハネ15:1~10
一般的に葡萄の枝には三種類がある。 実のなる枝、そして実のならない枝、最後に枯れ枝。 枯れ枝なら間もなく自然と折れて落ちる。 実のならない枝なら即、根本から切り落とされる。 「実もならねぇくせに、栄養だけ取りやがって。」と、怒りっぽい農夫なら言うだろう。 ...
ヨハネ15:1~10
2015年5月3日
■ ザアカイ! / ルカ 19:1~10
クリスチャンであればこそ罪の自覚は当然だが、同時に人間であればこそ得手な者は少なくないと思う。 しかしこの事に関する限り、敢えて苦味を堪え取り組むべきである。 聖書の言葉は真理である。 ルカ7章「多く赦された者は多く愛し、少し赦された者は、少しだけ愛する。」 ...
ルカ 19:1~10
2015年4月26日
■ 愛する=従う / ヨハネ21:9~23
牧師をしている私にとって最も難しいテーマがある。 イエスさまのご要望の中で、最高峰ではないかとさえ思う。 因みにキリスト教とは実にシンプルであり、実に安易と思えるものであり、時にまったく難しいハードルが置いてあるように思う。 主はいわれた。 ...
ヨハネ21:9~23
2015年4月19日
■ His way / ヨハネ21:1~7
新生賛美歌500番に『イェスがいなければ』という賛美歌がある。 とても好きな賛美歌であるが、残念にも二番までしかない。 自分だけで歌うために、四番まで書いてみた。 そこでふと考えた「いなければ」なんて、何となくネガティブに感じる表現である。 ...
ヨハネ21:1~7
2015年4月12日
■ あなたの指でなく、手でもなく、あなたの心と人生で / ヨハネ20:16~29
惨殺された人がよみがえった! それを信じたことから、キリスト教という信仰集団が生まれた。 簡単に言うとキリスト教の中心はこの部分、死者のよみがえり信仰にある。 世の道理を馬鹿にしたというか、子供も騙せないようなストーリーである。 ...
ヨハネ20:16~29
2015年4月5日
■エリ、エリ、レマ、サバクタニ 《神よ、わが神よ、何故に我を見捨て給うや》 / マタイ27:27~51
およそイエスほどに苛められ、虐待され、殺された人は幾人いただろうか。 増してや彼には一点の反社会的な背きも罪もなかった。 小突かれ、馬鹿にされ、あざけられ、唾をかけられ、殴られ、赤い衣を着せられ 嘲笑され、鞭打たれ、十字架に釘で手足を打ち付けられ、槍で突かれた。 ...
マタイ27:27~51
2015年3月29日
■ 私はバラバ / マタイ27:1~26
キリストの受難に際し、大きな役目に関わった三人の男達。 先ず、イエスを銀貨30枚で役人に売ったイスカリオテのユダ。 彼は後世、その名を不名誉な者の代表として歴史に名をにとどめた。 彼自身もイエスに対する強烈な思い込みの意味は分からない。 ...
マタイ27:1~26
2015年3月22日
■ 晴天の霹靂 / マタイ16:6~26
小さな雲一つさえ無い青空に突然の雷が鳴った。 仮にそういう状況があったとすれば、それを「晴天に霹靂」というらしい。 あり得ないことが突然起こった場面。 「世の人々は、私を何と呼んでいるだろう?」 弟子の誰かが答えた後で、イエスはペテロを見やった。 ...
マタイ16:6~26
2015年3月15日
■ 生ける神、生きる信仰 / マタイ16章13~17
日頃イエスはご自分のことを必ず「人の子」と呼んでおられた。 それは彼がメシヤ(救い主)であり、神の御子であることを敢えて隠しつつ、同時に強いインパクトを人々に与えられた、と後日、聖書を記した人々は考えたと思う。 おそらく弟子達の誰もが以前、不思議に感じたであろうことは、...
マタイ16章13~17
2015年3月8日
■ イの一番 / ルカ10:38~42
「イの一番」、つまりイロハ47文字(ンを入れれば48文字)の真っ先は常にイであるということ。 生き物として存在するためのイは命である。 では人間としてのイは? 人生のイは? 食べること、であるとするなら働くことか? ...
ルカ10:38~42
2015年3月1日
■ 人心自ずと神に向かわず / 第二歴代誌33:1~16
果たして人の心は自然と神に向かうのだろうか? 確かに人間は生まれついて宗教心を持っていると思う。 だが、人の心は己が好む方向は求めたとしても、聖書の神である創造主、そしてキリストに向かうことは非常に希だと思う。 人間はもともと自分が好む神々を望むからである。 ...
第二歴代誌33:1~16
2015年2月22日
■ ヨシャパテの道・本気 / 第二歴代誌20:12~21
信仰生活をふざけてやっている人などいない。 皆、真剣である。 しかしである。 本気度にもランクがある。 絶対に引けない、後ろが断崖絶壁のときがある。 死んでも引き下がれない、譲れないときだってある。 真剣勝負、生きるか死ぬかの瀬戸際。 ...
第二歴代誌20:12~21
2015年2月15日
■ ヨシャパテの道・勇気 / 第二歴代誌20:1~13
彼間違いなく弱虫に見えた。 それは何かにつけ直ぐに神に祈り、主に拠り頼んだからだ。 果たして彼は本当に弱かったのか。 傍から見ればそう思えるだろう。 世の側から見ればそう見えるだろう。 しかし、私から見れば彼は勇者である。 実に真の勇者である。 ...
第二歴代誌20:1~13
2015年2月8日




