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■ ここも神の国
「ここも神の御国なれば」とい讃美歌がある。 讃美歌というものは、メロディ以上に歌詞の内容が大切である。 メロディは歌詞の内容に添って、書かれるものだと思う。 悲しい歌詞、試練の只中に置かれた人生の詩、希望に向かう歌詞、感謝に満ち溢れる心、歌詞次第でメロディは変わる。 ...
マタイ20:1~16
2016年4月17日
■ 私のエルサレム
イエスはエルサレムで殺され、エルサレムの墓よりよみがえられた。 私の霊的誕生はイエスの死と黄泉がえりが結果であるが、霊的誕生地といえばエルサレムであると思っている。 エルサレムはシオンであり聖都であり、モリヤの山である。 ...
使徒の働き1:3~8
2016年4月10日
■ 見えない理由(わけ)
イエスがよみがえられた日の夕方近く、エルサレムからエマオの村へと急ぐ二人連れがあった。 彼らはイエスの弟子であっが、早朝に起こったイエスのよみがえり の出来事が信じられず、そのことで話は尽きなかった。 陽が落ちる前にエマオに入るべく、沈みかけていた夕日に向かって歩を速め...
ルカ24:25~35
2016年4月3日
■ O Happy Day すべてはあの朝から始まった
イエスは黄泉がえられた。 福音書の終盤が語る状況から行くと、これが一番相応しい「言い方」かも知れない。 イエスは死者として黄泉にまで降りられた。 そして新しい御体をもって現れたのである。 確かに湖の岸辺、弟子の目の前で焼いた魚を食べられたが、以前持っておられた、いわ...
ルカ23:46~24:8
2016年3月27日
■ 私が神にしたこと
あなたは信じるだろうか? 聖書は現実の出来事を語っていることを。 あなたは信じているだろうか? 聖書は生けるまことの唯一の神のことばであることを。 あなたは本当に信じているだろうか? イエスは神であることを。 ...
マタイ27:22~50
2016年3月20日
■ 世界で最初のキリストの教会
2千年前、世界で初めてのキリスト教会が生まれた。 アジア大陸の東の端っこ、地中海にずり落ちそうな極地、中東で昔から他国に責められ蹂躙されたところ。 しかし、歴史と民族の哀愁が漂う地であり、気候も景色も地上の世界を圧縮凝縮したかのような不思議で美しいところ、そのカナンの北...
マルコ14:17~36
2016年3月13日
■ キリストの檄
祈りはどうしても自分中心になり易い。 当然ではあるが、事をなして下さるのは主であるから、主である神を中心にした祈りが大切である。 事をなされる方法も仕方も、主にお任せすべきである。 それが「神中心」の祈りであり、私たちの心である。 ...
マタイ11:1~10
2016年3月6日
■ 信じ切る/マタイ10章34~38
マタイの福音書10章から厳しい言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。 イエスのことば、 「わたしが来たのは平和をもたらすためでなく、剣をもたらすためである。 そのとき、家族は互いに逆らい、救い主を信じた者にとって敵となるだろう。 ...
マタイ10章34~38
2016年2月28日
■ 個は体のために、体は個のために
コリントという町は偶像の中に造られた町と思えるほど、様々な神々に満ち溢れていた。 ギリシャは神々を生み出し、大和の国は何でもかんでも神として祭り上げた。 日本人は「恐れる対象を畏れる対象にする公式」においては名人である。 ...
第一コリント8:1~13
2016年2月21日
■ 宴の肴
ローマの総督ピラトほどに有名ではないが、ヘロデという名は知る人ぞ知る存在である。 ヘロデ・アンテパスが今回の主人公であるが、人間性は父ヘロデ大王から引き継いだ。 権力に関しては政争の風向きを見逃さず、弱者を虐げ強者にへつらい、保身のためなら例え兄弟であれ踏みにじった男で...
マルコ6:14~29
2016年2月7日
■ 創世記のキリスト者 / 創世記15:1~6
「創世記のキリスト者」というタイトル。 自分ながらチグハグと思うより、逆にマッチしていると思った。 確かに新約聖書時代は教会がメイン舞台である。 そして創世記時代、教会は無い。 無いどころか聖書とか信仰の友だっていなかった。 ...
創世記15:1~6
2016年1月31日
■ イエスが呼ばれた / ルカ10:1~11
ルカ10章「その後、主は別に70人を定め・・・」 マルコ3章「さてイエスは山に登り、ご自身のお望みになる者達を呼び寄せられたので・・・」 イエスは常に、ご自身が望まれる者達を呼ばれた。 クリスチャンになったけど、急に進むべき道、歩くべき道が分からなくなる時がある。 ...
ルカ10:1~11
2016年1月24日
■ 神の御手にこねられて / マタイ12:28~33
「もし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなた方のところに来ているのです。」[マタイ12:28] 果たして私の以前は、悪霊どもの巣窟だった。 笑い話でもオカルト話でもない。事実である。 罪という言葉も内容も理解出来なかった。 ...
マタイ12:28~33
2016年1月17日
■ もう一度深みに漕ぎ出して / マルコ5:1~11
聖書からメッセイジを書くこと22年が経過した。 確かに聖書から書くのであるが、実際は目に見えない方(主)が書かして下さるのである。 それが分かっていても、ついつい毎週独り悩んでしまう。 恐らく、どうしても自分が書いているという潜在意識が消えないのであろう。 ...
マルコ5:1~11
2015年12月27日
■ 2015クリスマス・天父の御顔 / ルカ2:1~20
イエスがお生まれになる際、二つのルートから彼を見に駆け付けた人たちがあった。 一つはヘロデ王を中心とする宮殿ルートである。 星を頼りに遠方からたどり着いた博士たちであったが、事情を知らずに思わずヘロデに謁見し、「ユダヤ人の王がお生まれになる場所はどこですか?」と聞いた。...
ルカ2:1~20
2015年12月26日
■ イエスの父ヨセフ / マタイ1:16~25 (2015-12-13)
イエスの戸籍上の父はナザレの大工、ヨセフと言う。 ヨセフに関する聖書の記事は非常に少ない。 居たか居なかったのか分からない程である。 しかし、彼の存在は不可欠であった。 創造主はヨセフの血筋にこだわっておられる。 ...
マタイ1:16~25
2015年12月13日
■ 信仰は持つもの / ルカ1:26~45
イエスがこの世に誕生されるために絶対不可欠な要素は、彼の母たる存在だった。 その女性は処女であり、純情純純潔な心身に加え、神を畏れる者が必要だった。 イエスにおいて地上の父にあたる男性はダビデの家系に属する者、道徳的に非がなく、秘密を守ることに長けており、真面目な者であ...
ルカ1:26~45
2015年12月6日
■ I am the WAY 2 / ヨハネ14:3~10
人間世界、「真理」を声高々に唱える者は次から次へと現れる。 世の宗教と言えば、真理は必ず彼らの重大項目の一つである。 それ程に世の人々も注目しているからであろう。 「真理」とは「この上なく、まことの道理」であり、真実性において不変であるのは当然で、これ以上ない正しい道...
ヨハネ14:3~10
2015年11月29日
■ I am the WAY (私は道である) / ヨハネ13:34~14:6
主イエスの「受難の幕開け」はいつだったか。 それは最後の晩餐が終り、ユダが部屋を後にしたときであった。 イエスがいわれた、「今こそ人の子は栄光を受けた。また、神は人の子によって栄光を受けた。」 我々は通常、その場面をどう表現するだろう。 ...
ヨハネ13:34~14:6
2015年11月22日
■ 朱に交われば・・・・ / 第一列王記11:1~4、29~38
ダビデから息子ソロモンへと王位継承がなされ、ソロモンに与えられた主の祝福はダビデと変わらぬものだった。 確かに、最初の段階だけは・・・ しかし、イスラエルの王として父ダビデの信仰と品性、資質までは継承出来なかった。 ...
第一列王記11:1~4、29~38
2015年11月15日




