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■ ヨシャパテの道・落とし穴 / 第二歴代誌18:1~8 (2015-02-01)
人生には多くの落とし穴がある。 明らかに見える穴があるが、殆どの落とし穴は見えない場合が多い。 大概、落ちてから気がつくが、常に時既に遅しである。 だから信仰の道は二人で行くのが良い。 つまり相棒だ。 米語で言えばBUDDY(バディ!と発音する)である。 ...
第二歴代誌18:1~8
2015年2月1日
■ ヨシャパテの道 / 第二歴代誌17:1~12
イスラエルの王の中で、私が非常に気に入っている人がいる。 ヨシャパテという王であるが、彼の人間性と主の前における生き様が堪らなくいい。 そもそも、男が金と力、地位と権力をすべて手中にした場合、大方が碌な生き方をしない。 あのダビデがそうだった。 ...
第二歴代誌17:1~12
2015年1月25日
■ 救い主 / マルコ2:1~12 (2015-01-18)
日曜日だけでなく、ウィークデイの中であっても、私達はどれ程主キリストに期待しているだろうか。 仮に何十年という長い間、祈り続ける課題があるとしても、果たして期待を持って祈り求めているかであり、変わらない希望があるだろうか。 ...
マルコ2:1~12
2015年1月18日
■ 苦しむは恵み / 第Ⅱ歴代誌12:1~14
仮に私が非常な困難の中に置かれたとして、どの段階まで「主は正しい」と言い続けられるだろう。 実際、自分にそういう時が来なければ分からない問題であるが、私にとってはまことに自信の無いテーマである。 耐え切れなくなったら神を呪うだろうか。 ...
第Ⅱ歴代誌12:1~14
2015年1月11日
■自分か神か / 第二歴代誌13:1~18
信仰生活の取り組みで大切なことは「普段」ということと、「不断」ということである。 文字は違うけれど、意味合いは似ている。 絶え間なく、いつもどおり、と言う様な意味である。 キリストを想う?思う?人の気持ちは日々異なるものだ。 それは私が人間であるからだ。 ...
第二歴代誌13:1~18
2015年1月4日
■ キリストと生きる、ということ / マタイ2:13~23
イエスは弟子達に言われた。 ヨハネ14:27 「わたしはあなた方に平安を残します。わたしはあなた方に『わたしの平安』を与えます。わたしがあなた方に与えるのは世が与えるのとは違います。」 う~ん、イエスの平安とは、どんな平安だろう? 通常、私達が考える平安とは・・・・ ...
マタイ2:13~23
2014年12月28日
■ アドベントⅣ 今こそ神は見させ給う / マタイ1章1~21
多くの人が聖書読破に挑戦する。 マタイ一章を開き、「さあ、行くぞ」と読み始めて、いきなりガクッと挫ける。 やたらカタカナ名の羅列である。 しかし、である。決して羅列だけではない。 先ず、アブラハムという名前から始まっている。 アダムもいた、ノアもいた。 ...
マタイ1章1~21
2014年12月21日
■アドベントⅢ しるし / ルカ2:8~14
「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」とルカの福音書2章が伝える。 そう、誰のためにではない。 私のために、あなたのために、すべて一人称の存在のためにである。 自分達、ひとりひとりのための救い主である。 これが神さまの御目である。...
ルカ2:8~14
2014年12月14日
■ アドベントⅡ 神は人となった / ヨハネ福音書1:14~18
クリスマスの原点とは、「神が人になった」ことである。 人間世界では時々、人が神になったと表現するが、そうではない。 神が人になったのだ。 これこそ人間世界の道理では、決して起こりえないことだ。 だがそれが起こった。 ...
ヨハネ福音書1:14~18
2014年12月7日
■ アドベントⅠ 光りは闇に輝く / ヨハネ福音書1:1~14
光りは闇に輝く。 光りは昼間では輝けない。 ヨハネ福音書の書き出しは痛烈である。 「キリストは世の初めからおられた。キリストは神と共におられた。キリストは神であった。」 使徒ヨハネは三位一体の神をストレートに淀みなく表現した。 ...
ヨハネ福音書1:1~14
2014年11月30日
■ 彼の教会 / 第一コリント12:1~13
北米の川に住むビーバーという動物は、ダム造りの名人?と昔から聞いていた。 木々の枝を集めては川を堰き止めるのであるが、半端でない仕事をするらしい。 50メートルの川を堰き止めるダムなど朝飯前である。 信じられないが500メートルの川幅だってダムの対象らしい。 ...
第一コリント12:1~13
2014年11月23日
■ 聖霊があなたを動かす / 第二コリント3:6~18
聖霊(神の御霊)はクリスチャンだけに働くのではない。 誠の神を信じていない人々にも同様に働かれる。 これは誠に信ずべきことである。 それが証拠には、不信仰、無信仰な彼らが救われ行く経緯と結果を見る時に、聖霊があきらかに働いておられるのを知るからだ。...
第二コリント3:6~18
2014年11月16日
■ 今日蒔く種はどんな種 / ガラテヤ6章1~10節
礼拝に関して天から舞い降りたかの様な考え方だった。 クリスチャンの礼拝には様々な意味が含まれている。 感謝、賛美、祈り、静聴、黙想、告白、嘆願、同信の友との交わり、励まし、慰め。 でも本当の中心は一つであると思った。 それは主との霊的交わり、出合いである。 ...
ガラテヤ6章1~10節
2014年11月9日
■ 聖霊のちから / ヨハネ16章1~16
最近、ふと思ったことがある。 詩篇23編は今日までの時代の中で、どれほどの人々を励まし、慰め、導いてきたのか計り知れない。 私が20歳前後の頃に「エレファントマン」という映画を見た。 生まれつきの奇怪な容貌ではあったが、心は誰よりも美しい男性である。 ...
ヨハネ16章1~16
2014年11月2日
■ 事を為すは主である / ヨハネ15:9~17
確かに私達は礼拝し、祈り、クリスチャン同士の交わりを保ち、教会活動に従事し、聖書の学びを深めるべく努力している。 しかし、この延長線でふと気がつくことは、私達が頑張って、私達が事を為しているという私中心という取り組みに陥っていることである。 ...
ヨハネ15:9~17
2014年10月26日
■ 助け主 / ヨハネ14:15~27
イエスは言われた。 『わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。』 ヨハネ14:16 イエスは「もうひとりの助け主」だと聖霊のことを言われた。 ...
chofuminami
2014年10月19日
■ 聖霊の住む場所 / ガラテヤ5:13~26
あなたは本当に自由ですか? 33歳まで私は自由だと思っていた。 日本人の誰もがそう思っている筈である。 「言いたいことを言い、やりたいことをする、これが自由社会だ。」 そしてクリスチャンになって数年後、私は自分は不自由だったことを知らされた。 ...
ガラテヤ5:13~26
2014年10月12日
■ 私の主 / 第一コリント2:11~16
この世にはただ三つのタイプの人間しかいないと言う。 初めに「生まれながらの人」、つまり罪から救われていない人々。 かく言う私であったにせよ、以前は皆、生まれながらの者であり罪びとだった。 二番目はキリストを受け入れはしたが、霊的成長をしていないというべきかか、進歩してい...
第一コリント2:11~16
2014年10月5日
■ FREEDOM (自由) / ガラテヤ人への手紙5:1~13 (2014-09-28)
ガラテヤびとへの手紙5章1節 『キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。』 実にキリスト・イエスがこの世に来られたのは、この為である。 ...
ガラテヤ人への手紙5:1~13
2014年9月28日
■ 初めに・・・・ありき / ガラテヤ人への手紙3:1~9 (2014-09-21)
マルティン・ルターが最も惚れこんだ聖書箇所は「ガラテヤ人への手紙」だったと最近知った。 この手紙こそ、福音そのものの中心をズバリと現しているとのことだった。 手紙のテーマはキリストに出会って、信仰の道を突っ走っていたガラテヤ教会が何故ユダヤ教主義に走ってしまったかである。...
ガラテヤ人への手紙3:1~9
2014年9月21日




