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■ 教会の襞(ひだ) / 使徒の働き6:1~7 (2011-11-13)
世の中、襞(ひだ)が多い。 つまり高い場所と低い場所が折り重なっていることを言う。 例えば私の家から南の彼方を眺めると三層の山並みが美しく目に入る。 上から見たら襞に見えるであろうか。 しかし水平視線でみれば、山並みが絵景色に見える。 ...
使徒の働き6:1~7
2011年11月13日
■ 大胆に、そして真摯に / 使徒の働き12:1~17 (2011-11-06)
秋深まる休日、久しぶりに庭木の手入れをした。 紅葉が始まった時期ではあるが、「蝋梅」の葉はまだ緑色であった。 ふと見ると、葉の陰で小さい蕾ではあるが、やがて咲く時に備えが出来ている様だった。 寒さはまだまだこれからである。それでも咲くために備えている。...
使徒の働き12:1~17
2011年11月6日
■ 勘違い / ガラテヤ人への手紙2:15~21 (2011-10-30)
勘違いは誰もが体験したものだと思う。 後で思い出し、笑って済まされるものならよいが、そうでない場合もある。 特にキリスト教における異端に関わってしまった人は、ご本人と家族にとって長く尾を引き、実に深刻な事態をもたらすことがある。...
ガラテヤ人への手紙2:15~21
2011年10月30日
■ DOOR (ドア) / 使徒の働き16章1~12 (2011-10-23)
2千年前、キリストの福音はイスラエルから現在のトルコ地方へと押し出されて行った。 ユダヤ教の迫害下、見た目は離散状態であったが、実際は「神の摂理」としか言い様がないのである。 迫害によってキリストの復活と救いの福音は世界へと拡散したからである。...
使徒の働き16章1~12
2011年10月23日
■ 神の摂理 / マルコ8:11~21 (2011-10-16)
イエスの時代、ユダヤ教に非常に熱心な人々と言われたのが「パリサイ派」の人々だった。 彼らは律法主義そのものであったが、神ご自身を求めるよりも律法を守ることに執着していた。 その様な彼らに対し、イエスは歯に衣着せぬ言葉で批判された。 ...
マルコ8:11~21
2011年10月16日
■ 神の言葉は種、糧、力 / マタイ13章1~15 (2011-10-09)
「信仰は聞くことから始まり・・・」ローマ書10:17 クリスチャンになって暫くすると、「大体。わかりましたから」と、頭で思い込んでしまい、あとは機会に迫られて読む程度になる。 だが、信仰は何十年のキャリヤがあるクリスチャンであっても、聖書の言葉を聴くことで支えられるので...
マタイ13章1~15
2011年10月9日
■ 静けさの中に微かな声あり / 第一列王記19章7~15 (2011-10-02)
信仰の戦いに疲れた主のしもべ、エリヤが完全に燃え尽き状態となって一人荒野でうずくまっている。 誰も来ないはずの場所に絹が擦れる感じがした。 その方は彼の頭のところに水とパンを置いて言われた。 「起きて食べなさい。」 エリヤはそれを少し食べ、また横になった。 ...
第一列王記19章7~15
2011年10月2日
■ あなたの旅はまだ遠い / 第一列王記19:1~14 (2011-09-25)
クリスチャンが信仰を見失うこ自体、その人生を通して決して少なく無いと思う。 もし、常に自分の内側を見張っていることが出来たとしたら、信じる対象を見失っている瞬間は多々ある、と思う。 私達はそれだけ目の前の世界に気を取られているということである。 ...
第一列王記19:1~14
2011年9月25日
■ リバイバルは素晴らしい / ヨハネ8章 (2011-09-18)
リバイバル集会の度に思い出すことがある。 数年前の集会であった。 私がご招待した人々の中に、ある牧師が来ておられた。 集会の終わり近く、メッセンジャーは招きをされた。 いつもの如くであった。 この招きとは、今夜イエスを受け入れた人、そして新たな決心、献身を促すもの...
ヨハネ8章
2011年9月18日
■ 伝道・養育、たった一つの魂のために / マルコの福音書5:1~8 (2011-09-11)
キリス教会における礼拝と祈りは極自然であり、為されて当然のものである。 では教会の使命とは何か? 教会の使命は伝道と養育であると思う。 世の人に福音を伝え、そして救われた魂を育てる。これは使命である。 イエスが3年間で為された不思議なわざと、神の国の訪れを語られた意...
マルコの福音書5:1~8
2011年9月11日
■ あなたなら直ぐにヨルダンに身を浸せますか? / 第二列王記5:1~14 (2011-09-04)
旧約聖書に「ナアマン」という将軍が登場する。 華々しい戦績を残し、誰もが一目を置いた人だった。 しかし、気の毒に非常に思い皮膚病を患った。 「私の国におられる預言者のところに行くなら、ご主人様はきっと癒されるでしょう。」 ...
第二列王記5:1~14
2011年9月4日
■ 出身はアンテオケ神学校 / 使徒の働き11:19~26 (2011-08-28)
試練という言葉、私達にとっては悲観的、ネガティブに思えてならない言葉である。 だが、聖書全体、そして神さまのみ旨においては、決してそうではない。 試練とは時間帯で言うならまさに暗き闇であるが、間もなく朝が訪れる瞬間でもある。...
使徒の働き11:19~26
2011年8月28日
■ 私の内に潜むカイン / 創世記4章1~16 (2011-08-21)
エデンの園、その園内で何が起こったか? そこは人間の「神を思う霊性の死」がスタートした。 では、エデンの園の外で何が起こったか? そこは「尊属殺人」の場となった。 エデンの内外、神の臨在と支配に近い場所であっても、人の心に神への畏敬の念無くば、どんな惨たらしい事件だっ...
創世記4章1~16
2011年8月21日
■ 屑も、虫けらも神の兵士となる。 / ヨハネの福音書6章1~14 (2011-08-14)
仮に、である。 「あなたは目を残したいか?それとも耳か?」と残酷な問い掛けがあったしたら・・・ あなたはどちらを選ぶだろう。と、昔なにかの読み物を読んだ記憶があった。 さあ、目か、耳かと聞かれたら、殆どの人が目を残してと、言うだろう。 ...
ヨハネの福音書6章1~14
2011年8月14日
■ クリスチャンこそ求道者 / マタイ19章16~26 (2011-08-07)
信仰の道を求める人間として、最も難しい取り組みは「己をいかに低くできるか。」であろう。 その過程で自分を空しくすることは、実に難しい。 なにせ自尊心がある。プライドも尊厳もある。 それらを殆ど押し殺して、であるからだ。 ...
マタイ19章16~26
2011年8月7日
■ リバイバルよ来たれ / ヨハネ4章41~42 (2011-07-31)
世界各地の教会では、昔から年に一度、リバイバル集会を開催するところが多い。 目的は教会自身の霊性の復興と悔い改めであり、同時に一般会衆へのアプローチ、つまり伝道のチャンスの時である。 魂が神さまに帰ることは実に清清しいというか、感動である。 ...
ヨハネ4章41~42
2011年7月31日
■ 祝福の夜明け / 創世記22章12~24 (2011-07-24)
神さまは時として私達を試される。 神さまに対して、私がどれだけ従えるか? 私にとってこの世で一番大切なものは何なのか? 神以外に重要な存在がこの世にあるのだろうか? 人間にとって、この世で大切なものは、たった一つなのである。 ...
創世記22章12~24
2011年7月24日
■ アドナイ・エレ(主に備えあり) / 創世記22章11:11~14 (2011-07-17)
聖書の神は至高の神である。 つまり、この方より上なる神は存在しない。かと言って、神の下に神は存在しない。 唯一神、生きて働かれる神はイエス・キリストの父である。 神は聖なる義なる方である。 反対に人間は、その存在するところに必ず罪という足跡が残る。 ...
創世記22章11:11~14
2011年7月17日
■ 主はあなたの隣におられる / 創世記22章7~12 (2011-07-10)
自分が最も大切にしている宝を「神が欲しい」と言われたとき、人はどう反応するだろう。 しかし、その宝は神が下さったものであるとしたら・・・「やむを得ない、致し方ない。」と腹を括れるだろうか。 日本人には理解出来ない場面である。 権力とプライド、力関係によるものではない。 ...
創世記22章7~12
2011年7月10日
■ 山上の礼拝 / 創世記22章1~8 (2011-07-03)
祈りには幾つかの大切な要素が含まれていると思う。 1、 祈りは創造主である神への信頼度を如実に表す。 神さまを信頼すればする程に、自然と祈りは積まれると思う。単純明快に人間の信仰がそこに集中する。そして、そういう人は本当に幸せであると思う。 2、...
創世記22章1~8
2011年7月3日




